2013年10月19日土曜日

どんな教師・講師に我が子を預けたいか その2

前回の続きです。


多くの生徒を伸ばす講師がいる、という事実がある。
一方で、偏差値が同じ高校なら、どこも進学実績は変わらない、という事実がある。
矛盾するこれらの事実は、どう説明できるのだろうか。
ひとつの説明は、ミクロとマクロ、大局と部分の違いなのではないかと思われる。
つまり、多くの生徒を伸ばす講師も、そんなに多人数を見ることができるわけではない、ということだ。
そしてもうひとつの説明は・・・
生徒と講師の精神的な距離だ。
論語の学而に『有道に就きて正す(就有道而正焉)』という言葉がある。
「徳の高い人について自分を正そう」というような意味だが、現代的には「理想とする人を見つけて、その人の振る舞いや考え方を学ぼう」という意味になろう。
30人を超える学校の教室や、それ以上の人数となる予備校では、講師(教師)と密接な時間を過ごそう、精神的なものを学ぼうとする生徒は、そう多くはいないだろう。
自分の理想とする講師や教師に当たるのは、運に恵まれた人だけかもしれない。
私は幸い、中学時代に伊住先生、高校時代に(書物の中でだが)伊藤和夫先生に出会い、師と仰いだ。師は永遠に超えられない存在として、今も私の中に立ちはだかる。
私の話はいいとして、きっかけを与えてくれるような人は、技術的にではなく精神的に自分の中に食い込んでいる感じがする。
講師(教師)との精神的距離は、どれだけその人を近くに感じたか、にある。
技術だけでなく、精神的な影響を受けるためには、精神的にその人の近くにいなければならない。
そのような人は心から尊敬できるし、その人の真似をしたいと願い、その人を師と感じるようになる。
そんな人は、いずれ自分を変えてくれる。すなわち、成長させてくれる。
つまり、自分を変えてくれる人になる。
そんな人を、草の根を分けてでも探すべきだ。出会うべきだ。

人間は常に変わっていかなければいけない。変化しなくてはいけない。
少し前に話題になった本『下流志向』の中で、著者の内田樹先生はこのように述べています。
『私たちの体は数日間で入れ替わっており・・・変化することが生物の自然なのです。・・・外界の変化に適応して変化できる個体は、そうでない個体よりも生き延びる確率が高い。だからこそ、人類はその黎明期から「学び」のプロセスに子どもたちを投じることが必要であることに気付いていたのだと思います。・・・子どもがまず学ぶべきことは、「変化する仕方」です。学びのプロセスで開発すべきことは何よりも「外界の変化に即応して自らを変えられる能力」です。』
いかがだろうか。
冒頭のアンケートでも、親御さんの大多数がそれを望んでおられるのがわかる。
親御さんは広く厳しい社会で生きておられるのであるから、その社会を生き抜ける子どもを育てよう、という意識が必ずあるはずだ。
教育業界という狭い社会にいる講師や教師は、ともすればこの意識が希薄になる面がないとは言い切れないのではないか。
本来、生徒が変化してゆく姿を見ることは、親が子どもの成長を眺めるがごとく、幸せなことのはずだ。
私自身は、別段誰かに影響を与えて人を変えるような存在であるとは思っていない。そんな、おこがましい。
でも少なくとも私は目の前の生徒を変えようとするし、変わっていく姿を見るのが楽しいからこの仕事をしているのだと、あらためて気付かされる。
今も昔も講師(教師)に期待されているのは、子どもを変えよう、という意識なのだ。

『下流志向』の中で、著者の内田樹先生はこうも述べている。
要約であるが、
『抽象的思考が出来る子は、具体的思考の強い子と比べ、成績がよく、論理的にものごとを考えることが出来る』と。
『未来思考の出来る子(筆者注:そんなに遠い未来じゃなくていいと思う)は、現在思考の強い子と比べ、成績がよく、現時点での一時的な快楽という誘惑に勝ちやすい』と。
『教育とは、具体的思考の子に抽象的思考の有利さを発見させ、現在的思考の子に未来を見せる作業である』と。
講師がすべきことは、ずばりこれだろう。
生徒を手取り足取り教え続けるのが教師(講師)の役割ではない。
生徒に迎合するのは教師(講師)ではない。
ときには失敗をさせないと、生徒は成長しない。
手取り足取りは、生徒に抽象的思考をさせていない。
生徒に迎合しては、生徒に未来を見せられない。
講師は、生徒を変化させなければならない。
優しい先生、自分たちの気持ちをわかってくれる先生が好きな子は、それでいいだろう。
厳しく管理してくれる先生が好きな親御さんも、それはそれでいい。
しかしここに登場した講師たちは、少なくとも生徒に好かれようとはしていなかった。
上司や親御さんに評価されるために、生徒を犠牲にすることはしなかった。
ただひたすら必死に、生徒を導いていた。
「こっちへおいで。努力すれば、新しい世界が開けるよ。きついこともつらいこともある世界だけど、胸を張って生きられる世界だよ。努力が必要だけど、君ならできるよ。変わろうよ。」
と無言で言ってあげられる、すばらしい講師たちだった。
「今のまんまの君でいいよ」なんて、言うはずがないだろう。
変化こそ、成長なのだから。


ウチは、ごく普通の子どもに変化を強要する塾です。






ご意見・ご連絡は・・・

へおねがいします。 

2013年10月14日月曜日

どんな教師・講師に我が子を預けたいか その1

このところ講師関係の話題が続いていたが、塾側からの話がメインだった。
では、みなさんの側、つまり、教えてもらう側やお子さんを預ける側のみなさんにとって、と考えると、どんな講師が理想となるのだろうか。
もちろん、理想や希望が人それぞれ異なるのは、私だってわかっている。
それらが正しいとか、誤っているとかも、結果が出ない限りわからないことも、当然わかっている。
そして、100人中100人に支持される講師(教師)も存在しないことも、わかっている。
それでもその上で、少しだけ「理想的な講師」について考えさせていただきたい。


横浜市教育委員会が2011年に保護者に対して行ったアンケートがある。
その中に「保護者が教員の指導に望むこと」という項目があった。その結果は・・・
「教育への責任感や使命感」68.7
「非行やいじめなどの問題行動への適切な対応」58.0
「社会人としての一般常識」50.8
「公正・適正な評価・評定」49.7
「授業力や教科などの専門知識」45.7
などの順になっていた。
これは教師に対する要望なので塾講師に対するそれとは違うと思う。特に授業力の面。
それでも、アンケートからは多くの親御さんが人格的な面を非常に重要視しているのがわかる。
まだまだ日本は大丈夫だ。

講師には、生徒を伸ばす講師と、伸ばさない講師が存在する。もちろん教師だって同様だろう。
このことは、話の上手下手、人気があるないとはあまり関係がない気がする。いや、関係がない。
逆に、どんなに授業力の高い講師に教わっていても、伸びる子と伸びない子がいる。
このことの解明は永遠のテーマなのだが、今回は中間報告という形である結論を導き出したいと思う。

まず、ひどい言い方をすれば、伸びる子はどんな講師でも(教師でも)勝手に伸びる。
伸びない子は伸びない。
これは“性格を含めた個人の資質”の問題でもあり、社会全体の問題でもあるが、社会の問題はとりあえずおいておき、個人の問題だけをとりあげる。
さて、なぜこんな乱暴なことが言えるのかといえば、偏差値が同じいくつかの高校の進学実績を比べていただければわかる。
同じ偏差値の高校の進学実績は、実に差がない。まるで差がない。
つまり、学力教育だけでは、どんなにがんばっても効果はたかが知れている、ということだ。
だから予備校などは、偏差値の高い高校の生徒を奨学金で迎え、合格実績を謳うのだ。
講師をやっていればわかる。同じことを教えても、生徒によって大きな差があることを。
そして、そんなことは実はみーんな、わかっている。
「あの子は頭がいいから」
「あのお子さんはとても優秀だから」
「地頭が違うから」
と。
あらためて私がお伝えするまでもない。

そもそも、「頭がいい」とはどういうことであろうか。
一つの指標は知能指数か。
と思って、私は先日、ネットで知能テストというものをやってみた。
どきどきしながらやった結果は、平均よりもほんのちょーっとだけ上だった。
しかも、かなりカンで解答したところもあったので、実にあやしいものだ。
私立文系の一浪だし、私の生まれつきの地頭がよくないことはこれで証明されてしまった。
2ちゃんねるでは「私立洗顔」とバカにされるタイプだ。
しかしそんな私でも現代文が得意で、大学受験英語ならすらすら読めて、中学受験算数ならほぼ何でも解ける。訓練のたまもの以外のなにものでもない。
知能指数は、大学受験程度なら学習で跳ね返すことができる。
以前にも書いたが、湘南高校の生徒ですら、「地頭がいい」なんてヤツは一握りだ。
その大多数は、人の何倍も努力して入学してきたのだ。
さらに言えば、偏差値の高い生徒は、努力のしかたが常識と少し違う。
考え方が多数派と少し違うのだ、と思ってほしい。

さあさあ、大きくズレたぞ。何の話だったっけ。
みなさんの周りにはいないだろうか。
ある日突然勉強し始め、もりもり成績を上げ、信じられないような学校に合格した人が。
もしそんな人を見たら、「あいつはもともと頭がよかったんだ。遊んでたから成績が悪かっただけなんだ」と思ってしまいませんか?
その人の頭が最初からよかったのかどうか、それは誰にもわからない。
事実としてわかるのは、その人が勉強をしはじめた、ということ。
そしてそれを持続した、勉強し続けた、ということだけだ。
ではなぜ、その人は勉強を始め、続けたのか。
それも誰にもわからない。
わかるのは、必ずなにかの“きっかけ”があった、ということだけだ。
その“きっかけ”は偶然かもしれないし、必然かもしれない。それも誰にもわからない。
ひょっとしたら本人にもわからないかもしれない。
ただ、「勉強したから頭がよくなったのだ」とは言えないだろうか?


・・・長くなったので続きます。






ご意見・ご連絡は・・・
へおねがいします。 

2013年10月10日木曜日

Wという講師について

”勉強法の真実ブログ”2009年05月30日の記事より・・・
記事の移転を順次行っております。



昨日、Wという講師が去った。
年度途中であるが、高校教師になるというので仕方がない。

Wはもう30歳になる。
中・高に加え小学校の教員免許を取得するために大学に通いながら、ウチの塾に尽くしてくれた貴重な人材だった。
生徒にもご父兄にも信頼は厚く、任された科目にはどれも相当な努力を払っていた。
後輩の講師にも優しく注意を払い、ウチの塾になじむように率先して声をかけてくれた。
彼にとって、ウチの塾は単なるバイト先ではなかったのかもしれない。
そんなわけで、講師の中ではもちろん最高時給。
彼に育成を任せた新人講師については、新人講師にではなく彼に文句を言っていた。
それをよく素直に聞いてくれた。
思えばひどい仕打ちをしたものである。

私が彼を最も尊敬していることは、気分がマイナスになっているときでも決してそれを表さなかったことだ。
「あの時はかなりショックを受けていたんですよー」と後から聞いて、そうなのか、と知ったこともあった。
大人なんだから当然といえば当然であるが、最近なかなかできる人がいないように思う。
疲れていれば疲れを表に出すし、プライベートで何かあれば仕事ぶりに出る人が多い。
しかし男子たるもの、昔から「顔で笑って、心で泣いて」と相場が決まっている。
・・・私も彼を見習わなくてはならない。

そして昨日、講師として一番大切なことを思い出させてくれた。
彼の最終出勤日ということを知って、今まで担当した生徒が多数押しかけ、保護者の方までいらしてくれて、彼に別れを告げていた。
ウチの塾では講師研修でも、「上を見て仕事をするな。生徒を見て仕事しろ。上を見て仕事をしても評価しない。」と常々言っている。
彼は見事に、それを実践していたらしい。
講師として一番大切なことは何か。
彼は昨日、それを思い出させてくれた。

貧乏な塾なので餞別もしてやれなくて、大変申し訳なく思っている。
どうやら講師同士で何かをやるみたいなので、事情が許せばなにかしたい。

この場を借りて申し上げる。
Wよ、君はきっと教師に向いている。
君は勉強だけを教える人間ではない。
勉強なんかどうだっていいから、社会人として人間として最も大切だと君が思っていること、それを若者に伝えてくれ。
ウチの塾でのクソ努力が、新しい学校で役に立つことを願っている。


長い間、本当にお疲れ様でした。
たまにはメールくれよな。




ご意見・ご連絡は・・・
へおねがいします。 

2013年10月3日木曜日

Uという講師について

”勉強法の真実ブログ”2009年03月16日の記事より。。


Uはサイボーグであった。
やや高めのテンションを常に保ち、驚異的な早口であった。
掲載許可はまったく取っていないが、私とUの仲を考えれば不要と心得る。
アメリカなら訴えられるはずだが、ここはなあなあ、日本社会である。

公立中から柏陽、2浪して理科大、そして大学中退というUの経歴をお伝えしただけで、その人物像は想像できるだろう。
それくらい、妥協というものを知らない男なのである。
中1時の成績はオール3だったというからたまげる。まあ、私もオール3だったが。
大学中退後、講師として大活躍し、ライブハウスでも大活躍し、そうしながら将来を決めたらしく、東大に落ち、首都大の理工に入った。Uが22歳のときだった。
首都大では首席で、奨学金をたんまりもらっていた。官費たんともらう有能な学生だったらしい。(competent=有能な、はこうして覚えましょう)
大学院は東大に進み、物理を学んでいるらしい。来年度は博士課程である。奨学金は結婚できるくらいたんまりもらえるらしい。

かれは講師時代、思考回路が非常にデジタルであった。そういう理論を好んだ。
そして常に、最小限のエネルギーで済まそうとし、思考力と自主性を重んじた。
そんな彼の考えと横浜トータルアカデミーの方針には多くの共通項があり、彼の台詞が参考になったり、横浜トータルアカデミーの指導方針が間違ってないことを確認できたりした。
彼は最も貢献してくれた講師の1人である。

さて、そんなUの台詞を並べてみる。
「手取り足取り面倒見よくしたら、自分じゃ何もできなくなる。面倒見がよいってことは生徒をどんどんバカにしてるってことになりませんか?」 そのとおり。

「国立理系が英語に割ける時間なんて、週に5、6時間なんです。だからいかに能率よく勉強するかを教えてあげるんです。」 講師の力量が試されるよね。

「計算ミスをバカにするヤツは伸びませんよ。」 はげしく同意。

「中学英語は教科書を丸暗記するのが当たり前ですよ。教科書が暗記できてから、文法や英作文が語れるんです。」 まったくその通り。

「数ⅢCなんて1週間で終わらせるんです。大学院のカリキュラムに比べたら九九のレベルですよ。」 そうなのか?

「TOEICは理系でも700点はほしいですね。」 理想はね。

「シェークスピアは原文で読むのが最高ですね。」 ・・・。

訂正。
Uはサイボーグではなく、ただのヘンタイであった。




ご意見・ご連絡は・・・
へおねがいします。 

2013年9月30日月曜日

完全無欠の男について

突然ですが、旧ブログより記事の移転を順次行ってまいります。
今回は”勉強法の真実ブログ”2009年03月13日より。。


昨日、完全無欠の講師が去った。大学卒業である。
背も高くガタイもよく、スポーツもできて気力充実、性格温厚にして明朗、授業はわかりやすくギャグがつまらない、いい男だった。
こんな人の彼氏にならなってもいいかな、と思えるほどの好人物である。
学生講師でありながら教室の全生徒を把握しようと努め、
男性でありながら女子生徒のウケもよく、
まじめな生徒からちょいワルの生徒まで彼を慕い、
東にギブスをはめた生徒あれば、行って肩を貸してやるほどの人物である。
上司に対する問い方も完璧。
「今、お時間よろしいでしょうか? ・・・について、A案とB案が考えられます。私はA案がいいと思うのですが、A案でしょうか、B案でしょうか。」と、こうだ。
非の打ち所がないヤツとは彼のことであろう。
こうなると欠点を探してみたくなるが、まったく思い至らない。

彼はウチから何かを学んだのであろうか。
昨日、「たくさん勉強させてもらいました」と言っていたが、私は恥ずかしくなった。
社交辞令かとも思ってしまった。
そう思ってしまうくらい、私は彼を教育しなかったのだ。
助けてもらうばかりで。
私は文系で、理系の彼とは指導すべき科目が違うと同時に、教えることが何もなかったのである。彼の相談相手は理系の副室長だった。
しかし社交辞令だよな、と思った次の瞬間、私は自分の心の卑しさを悔やんだ。
彼の名誉のために具体的には言わないが、彼はウチとの別れを本当に惜しんでくれたのである。

私は、彼は何かを得たのだと思うことにした。
そうでなければ彼に申し訳が立たない。

結局講師は、経験を積んだからいい講師になるわけでもなく、学生だから質が低いわけでもない。
要は、人なのである。教育は、人なのである。
証拠に、彼の担当生徒はこれまで全員、第一志望に合格している。
技術だけで成し得ることではない。

よくよく思い起こせば、彼は講師となってから成長した。
最初は頼りなかった。
最初から完全無欠などではなかった。
直すべき点はたくさんあったのだ。
彼は指摘を前向きに受け止め、成長し、やがて後輩に同じことを伝えていた。

そう、人の欠点を探そうとすること自体、恥ずべきことだった。

彼には、とても大切なことを教えられた。





ご意見・ご連絡は・・・
へおねがいします。 


2013年9月18日水曜日

パーテーション無し の効果

前回、講師の記事を書いていて思ったことがある。
そうだ、ウチの塾はパーテーションがないんだった、と。(副室K注:いったい何の関係があるんだ?)

「何?ココ?」ですよね。ウチの塾です・・・

そして、学生講師に担当生徒を持たせず、アシスタント扱いをしているのであった。
ウチは従来の個別塾の発想の真逆、正反対を突き進んでいる。
これはひょっとしたらすごいことなのではないか? と思い始めた。

それでは、個別塾なのにパーテーションを取っ払ったらどうなったか? をお話させていただきたい。

巷では、パーテーションは個別塾の標準装備と思われているようだ。
個別塾にはふつう、生徒の前後(と左右どちらか)を仕切るパーテーションなるものが存在する。
この仕切りによって、授業は直接指導する講師にしかわからないようになってしまっている。
それゆえ、大多数の個別塾では、教室長が授業の様子を知るには、講師から直接話を聞くしか方法がない。
教室長が巡回をしたところで、わかる情報は一部でしかない。
なにより、授業のすべてを講師にまかせるので、講師を育てるのに苦労するし、教室全体としての指導方針を統一するのにも苦労する。
しかし「パーテーションがないと集中できない」と悠久の古来より言われていたし、HPでもそのように言われているのを今でも見る。
なにより私だって、つい2年前まではそう思っていたのだ。
というより、思考停止していたのであろう。
よくないことだ。

ウチの塾がパーテーションを無しにしたのは他でもない、単に「後で買おう」と思っていたからだった。
急ぎドタバタの中でハコ作りをしていたので、とにかく優先順位が机、椅子、ホワイトボード、暖房だった。最低限授業のできる設備を優先しなければならなかったからだ。
そしてパーテーションのないまま開校。授業をしてみたら・・・これがなんとも良かったのである。


「個別 塾 パーテーションなし」などで検索してみると、パーテーションのない個別塾はわずかだ。
しかし、わずかではあるが、ある。
他塾さんの宣伝のようになってしまうが、九州地方にある学習塾さんはパーテーションのない教室運営をされており、その様子や評判はウチとよく似ていた。

そして、その九州の学習塾さんとウチに共通する様子はというと、以下のとおりである。

「静か」
パーテーションがないと周りの話し声が気になるのでは、と思われていたが、まったく逆だった。
むしろパーテーションがあるほうが私語が多く、音量も大きかった。

「サボれない」「緊張感がある」
パーテーションに隠れて携帯をいじったり、居眠りができない。
休憩や居眠りがしたければ、勉強した後で堂々とすればいいのだ。
また、みんなが勉強している姿を見てしまうと、自分もやるしかないと思えるのだ。

「生徒は講師の様子がわかり、講師も生徒の様子がわかる」
講師が隣からいなくなってしまって(コピーなどで)、戻ってくるのをじっと待つ、なんていうことがない。
振り向けば講師が必ずいる安心感がある。
講師は、ペンの止まっている子がすぐに見える。



いやいや、いいことづくめではないか。
とにかく教室にいる全員の様子が見られる。自習の子も含めて。
そして全員が、パーテーションのある頃より集中している。
誰も私語をしない。周りに迷惑だから私語ができない。でも休憩時間は私語OKで、メリハリができた。
アシスタント講師の様子もよく見られるし、アシスタント講師が困ったときにすぐプロ講師を呼べるし、すぐプロ講師が助けに行けるし、アシスタント講師がプロ講師の指導を見て学ぶことができている。
担当生徒や担当講師がいるわけではなく、講師全員が生徒全員を見ることになり、情報共有が容易だ。
生徒も講師もみんなが顔見知りになり、仲良くなった。休憩時間には笑い声が絶えない。
生徒間で、先輩が後輩の面倒を見る、後輩が先輩を見習う“部活”的雰囲気が生まれた。だから“勉強部”と名づけた。
夏期講習の打ち上げを高校生が行うという伝統ができた。
担当講師の指名合戦がなく、きわめて平和・平等だ。

「憩いのテーブル(笑)」の上。空腹で集中できない、をお菓子で防ぎまーす笑

と、なんか宣伝ぽくなってしまったので、この辺で。
決して宣伝ではなく、ただの自画自賛、自己陶酔なので許してください。
ウチは合う人には合うし、合わない人には合わないと思う。
でも万人に合う塾なんてないのだから(もしそんな塾があれば、その塾だけに生徒が集中するはず)、それでいいと思っている。


それにしても、常識とは染み付いてしまうものなのだ、とつくづく思う。
染み付いてしまうと、疑うことを忘れてしまう。
それは怖い。いつもいつも疑うようにしよう。



ご意見・ご連絡は・・・
へおねがいします。 



2013年9月6日金曜日

大学4年生 とくに女子について


ウチのアシスタント講師が急成長をしている。
いや、アシスタントゆえに成長が早いのかもしれない。だってプロ講師のやっていることをいつも見ているんだから。
そのうち、「立ていMJ! 天に帰る時が来たのだ!!」とか指を立てて言われそうな気がして怖い。

そんな妄想を繰り広げていたら、今までの講師のことを思い出した。
そして、講師について特に感じるのは、大学4年生になると違うなあ、ということである。
特に女子。(副室K注:あのー、前フリはいったい何だったの?!)
彼女らは4年生になると急に大人になり、仕事も出来るようになり、性格まで穏やかになる気がする。なので私は大学4年生の女子が大好きだ。
・・・かなり語弊がある言い方な気がするが、決していやらしい意味ではない。本当だよ!

旧勉強法の真実ブログでは何人かの講師について書いた記事があるが、女子についてはあまり触れていなかった。
印象に残っている講師は女子にも多いのだが、どう書いたらいいものか考えているうちに機会を逃していた。正直、いやらしく聞こえたらと思うと怖かったし。

独立初年度、中3の入試直前に休みなしで働いていたとき、直前模試を開催する前日、私は意識が朦朧としていて、たぶん目が逝っていた。
それを見ていたのか、大学4年生の講師W(女子)は、
「明日は模試だけなんですか? だったら私、出勤しましょうか? 模試くらい私1人で出来ますよ。休んでいいですよ。つーか、邪魔だし役に立たないから来ないでください。」
とキリッと言った。休日なのに出てきてくれると。
普段から憎まれ口ばかり叩く子で、一度も親切にされたことはなかったのが、このときばかりは天使に見えた。また語弊が。

短期間事務で来てもらったYさんも大学4年生女子だった。
ウチの副室Kは事務処理能力を常に自慢しているが、YさんはKに匹敵する事務能力を持っていた。
加えて、人の動きをよく観察しているというか、よく先の動きが読める子だった。
あまりにも期待以上の働きをしてくれるので、4年生は違うなあ、と思っていたことを覚えている。
「アタシ、すごい男っぽいって言われるんで」
なんて言っていたが、いやいやすごく魅力的な女性でした。語弊。

旧勉強法の真実ブログに“完全無欠の男”と“W”が登場しているが、彼らといまだに仲良くしているらしい女子、KとMも大学4年生まで働いてくれた女子だ。
本当は彼女ら一人一人について詳しく書いて記録に残したいほどなのだが、女子だから特定されると大変だ、などと思い書きそびれてしまった。
KもMも、1年生のときは何度も何度も怒られ、ぽろぽろ泣いていた。
それが4年生になると見違えるように大人になり(語弊)、自ら考え、頼られる女子へと変身したのがすごく印象的だった。
Kは担当生徒をトップ校へ入れた。就活もまるで苦労していなかった。4年生になってからは、表情もしぐさも自信に満ち満ちていた。
Mなんぞは時給がダウンしたことまであったが、その屈辱を努力で跳ね返した。
そして大学在学中に進路を変更し、教師になった。箱入りだったお嬢様が、自分の足で歩きはじめ、自分で選んだ夢を実現した。

講師Yもそうだ。
最初の頃はかなり頼りなかったが、いつも努力を惜しまなかった。
4年生になると自ら指導的な立場を取るようになったが、穏やかな性格とやわらかいものの言い方から疎まれることはなかった。教室運営にも積極的に協力してくれた。
苦手な科目も克服しようと努力し、念願の教師になった。

と、まだまだあるがとても書ききれないので、またいつか。必ず。


いやはや、こんなにたくさんの講師に支えられていたんだな、とあらためて思う。
自戒というか、常に肝に銘じていよう。
私の力は微小なのだ、と。
それにしてもどうして女子は、大学4年生になるとこうも大人になり、なおかつ塾を助けてくれるのだろう。
ジェンダーギャップなど言うつもりはないが、あくまでも割合として、大学4年生になると、男子は塾より外の世界を見ようとし、女子は塾の中をよく見ようとしてくれる子が多い、と思っている。
男子は4年生になると「最後だ遊ぶぞー」と意識が外に向き、女子は「私は・・・」と内側を見つめるようになるのだろうか。
男子は社会人になってもまだまだガキが多いが(昭和末期の印象)、女子の場合、社会人になるということに人生計画や自己実現を含めて考えたりしていて、男子よりずっと大人の自覚があるのではないだろうか? などと邪推している。
もし大学4年生の行動に私の印象どおりの男女差があるとしたら、そうした社会的な差なのかもしれない。
“母性本能”なんかで片付けるよりは、この邪推のほうがマシだろうと思っている。


先日、二人の大学1年生女子がアシスタント講師として働くことになった。二人とも元生徒である。
二人と少しだけ話をしたが、まだまだあどけなく、高校生の頃と何も変わっていないように感じた。
この二人も、4年生まで働いてくれるだろうか。
そして、3年後には別人のように大人になり、頼られる大人になるのだろうか。
今の二人を見ているとまったくそうは思えないが、成長を楽しみにしていようと思う(語弊)。






ご意見・ご連絡は・・・
へおねがいします。 



2013年8月21日水曜日

帰国子女編入試験

先日、中学生の女の子から、「合格しました!!!!!」という電話をいただいた。
わたしがコテコテの日本人オヤジだからか、それとも私の英語にものすごい不信感があったからか、授業中にはあのような嬉しそうな声を聞いたことはなかった。
あの電話の声が、きっと彼女の素の声なのだろう。

彼女と彼女のお母様が塾にいらしたときには、帰国してまだ1週間とおっしゃっていた。
それから2週間、毎日2時間の対策授業。
そして、英語圏から帰国してわずか3週間後、彼女は中学の編入試験に合格した。
編入試験はかなりの高倍率であった。

合格したからよかったが、それにしてもよくウチなんかにいらしてくださったと思う。塾なんかいくらでもあるのに。
私はサラリーマン室長時代に帰国子女入試を何人か経験しているものの、いずれも編入試験ではなく、1月・2月の入試であった。
そして帰国子女入試といっても一概に「こうですよ」とは言いがたく、学校によって科目も重視する内容も異なるため、必然的に学校別対策となる。
入塾の際には、他の塾も体験していただきたいこと、私の英語はネイティブに遠く及ばないこと、などを正直に話した。
大切なのはウチの塾の売上なんかではなく、子ども自身の利益であるからだ。
それでも選んでいただいてしまった限りは、全力を尽くさなければならない。
まして受験は目前。2週間前である。
見せていただいた過去問を元に数学の類題を選び、作文と国語の問題を作り、彼女の得手不得手を把握し、数学の予想問題を作り、面接は大丈夫か漢字はやっているのかと小うるさいオヤジと化した。もちろん、副室Kの手もたくさん借りた。

やっぱり嬉しいね。合格は。
しかも今年度初の合格者が、こんなにも早く出るなんて。余計に嬉しいね。
平日の14時。その時間帯には、彼女の他に高3や中3の受験生がいた。
それも刺激になってくれたかと。今にして思えば。
勉強部の効果もあったかなと。

「あの問題が出たんです!! くろまるとしろまるの!!!」
苦手で、でもしつこくやった図形の問題が出たらしい。
おお。昭和女子大に続いてズバリ的中!ではないか。
それにしても、上の学年の範囲まで出題される数学ができた。
ほんとうに、よくがんばったね。
おめでとう。


(プレテスト中にて)
MJ「英語が間違っていたら教えてね」
彼女「いっぱい間違えてる~」
MJ「・・・雰囲気で読んでね」
合格して、本当によかった・・・





ご意見・ご連絡は・・・
へおねがいします。 

2013年7月9日火曜日

大学入試の真実シリーズ① AO・推薦は受かりやすいか その5

まとめ

ここまで見てきた結論=AO推薦のほうが“入りやすいぞ!”と言える難関大学 


筑波・早稲田・慶應・上智

これらの大学は、一般的にAO推薦のほうが“入りやすい”と言える。
(早稲田・慶應は、AO推薦を実施している学部学科が限られるが)

一般に、AO推薦を狙うなら、かなり早い段階から意識し、さらに部活動などで優秀な成績を修めているととても有利だ。
逆に、高校生活を思いっきり謳歌した人は、AO推薦が有利だのうらやましいだの言わず、すっぱり切り替えて一般入試、と思うだろう。
と、ここまでは普通の高校生も理解している。

では仮に、筑波か早稲田か慶應か上智のAO推薦を狙うことにしよう。
次に、さてどのような対策をするかを考える。
まずは評定平均のために高1から真面目に勉強。
次に、たいてい小論文が課されるのだから、高2くらいからその対策。
それから個別に調べて、学科試験(英語など)の対策。
最後に面接の対策。

して、めでたく合格!! ならよいのだが、もし落ちたらどうするのか?
そう、当然、一般受験となるのだ。
小論文に費やした時間、
学校や塾で面接の対策をする時間、
学科に関する本を読み、予備知識を覚える時間、
大学案内を頭に叩き込む時間、
願書やエントリーシートを書く時間、
そして、受験する時間。
1日受験するだけで、相当な時間を失うことになる。
どうか想像してもらいたい。
そしてこのブログの記事“大学合格体験記”を読んでいただきたい。
合格者はたいへんな労力を払っている。
ダメもとで受験するだけなら失う時間は少ないが、でもその場合は合格可能性がかなり低くなり、やはり受験する時間をロスする。
本気で対策すれば対策するほど合格可能性は高まるが(大学受験は1点集中突破がよい。これもブログの合格体験記にある)、落ちて一般受験になるかもしれない。
と、このように、よくよく考えて挑まないとならない。
どちらにするかは、最後は自分が決めることだ。

一方の一般受験のメリットは、たくさん受験できることだ。
AO推薦はふつう1つ、多くても3つくらいしか受験できないが、一般なら10校以上も受験できる。
その10校は科目をかぶせる(受験可能な科目の範囲内で受ける)ことができるので、準備に対するロスが少ない。
AO推薦で怖いのは、ダメだったときのロスなのだ。
実は、“受験機会が1回増えるから試しに受けてみる”という考えが最も怖いのだ。
試しに、では合格可能性はとても低いし、受験した分だけ一般受験に対する準備も減る。
だから、AO推薦を受けるなら、これ以上は無理、くらいの対策をして、さらに一般受験になってもいいよう心構えをしておくのが正しい姿なのだ。

AO推薦の受験生には、しかし万全の対策をしてこない生徒がけっこういる。
自分で“面接は得意だ”なんて思っていてもそれは主観に過ぎず、判定する側から見れば勘違い野郎であることも多々ある。
しかしだからこそ、逆に万全の対策をすればかなり合格しやすくなる。
さらに、AO推薦には、極端に出来るやつが、意外に少ない。
次の表は主観がかなり入っているが、おおむねこんな感じである。 

 
 
校内成績上位
校内成績中位
校内成績下位
卒業生のほとんどが旧帝・早慶・医学部に行くような高校(最上位校)
指定校推薦
あまり使わない
あまり使わない
あまり使わない
AO・自己推薦
使う場合がある
使う場合がある
使う場合がある
学区トップの公立高校、上位私立高校
指定校推薦
よく使う
使う場合がある
使う場合がある
AO・自己推薦
使う場合がある
使う場合がある
使う場合がある
学区2番手の公立高校(準トップ校)、中位私立高校
指定校推薦
よく使う
よく使う
使う場合がある
AO・自己推薦
よく使う
よく使う
使う場合がある
上記以外の高校
指定校推薦
よく使う
よく使う
よく使う
AO・自己推薦
よく使う
よく使う
よく使う

表を見てわかるように、AO推薦には、最上位の生徒はあまりいないのである。
上位層は学力に自信があるし、AO推薦がほとんどない国公立を第1志望にしている場合も多く、そうでなくても、わざわざ一般受験とは別の対策をするのは不利だと考える生徒が多いのだ。
たから上位校でない生徒でも、きっちりと対策をすれば、AO推薦で難関大に合格できるかもしれないのだ。


前にも書いたが、大学受験はバクチでなくてはならない。
バクチを打つからには、敵を知り、己を知り、これ以上できないというくらい努力して、そして勝たなければならない。
負けても笑っていられるなら、それはバクチではない。ゲームである。
大学受験がゲームであるはずはない。いや、ゲームにしてはいけない。
一般受験ならば数が受けられるし、AO推薦と異なりどの大学の学部学科も実施しているし、受験資格にも制限がない。
しかし現実に、トップ校以外の生徒が早慶上智や筑波に一般受験で合格するのは、とってもたいへんなことなのだ。
3の始めに想像した受験生活よりも、実際ははるかにきつい。
途中で志望校変更したり、挫折したりが当たり前の世界なのだ。
そして合格可能性は、低い。
でも、AO推薦に集中すれば、これまで述べたように、早慶上智に合格できる可能性が高まるのだ。
もちろん、小論や面接の得手不得手、高校時代の実績や成績にもよる。
しかし、一般受験より合格可能性が高いのであれば、決心するのも手ではないのか。
先ほど「もし落ちたらどうのこうの」と言ったが、受験は バクチなのだ。
落ちたら潔く一般受験の準備。だめなら浪人。それでいいではないか。
その覚悟すらないから、受けても受けても受からなかったりするのではないかと思っている。

結局、AOにせよ一般にせよ、目標に一途に、嘘偽りのない努力をした者が何かを得るに違いない。
AO推薦合格者にも一般受験合格者にも“まぐれ”は含まれているから、楽々合格したみたいな話も耳にするだろう。
しかし、受験にまぐれは期待してはいけない。
受験はバクチである。
勝ちに向かって真剣に、すべてを賭けて臨んでほしい。
その結果の価値に、AO推薦と一般受験の区別はないはずだから。


最後に、GMARCHの一般受験・AO推薦受験の倍率比較を掲載しておく。
個別に書く時間がなくなってしまい申し訳ないが、ここまで読んでくださった読者の方なら、数字の意味が理解でき、不明な箇所はご自分で調べられると思う。

明治






入試
募集
志願
受験
合格
追加
競争率
方法
人数
者数
者数
者数
内数
2012年
2011年
一般入試
3361
58485
54277
10743
5.1
5.1
公募特別
25
80
 
32
2.5
 
自己推薦
36
188
 
35
5.4
 
AO合計
53
89
 
39
2.3
 








立教






入試
募集
志願
受験
合格
追加
競争率
方法
人数
者数
者数
者数
内数
2012年
2011年
一般入試合計
2905
69452
67497
13350
5.1
5.2
自由選抜
219
798
798
200
4
 








中央






入試
募集
志願
受験
合格
追加
競争率
方法
人数
者数
者数
者数
内数
2012年
2011年
一般入試合計
3694
84940
 
16821
5
 
公募推薦
10
27
 
10
2.7
 
スポーツ推薦
196
218
 
197
1.1
 
自己推薦
89
314
 
137
2.3
 

法政






入試
募集
志願
受験
合格
追加
競争率
方法
人数
者数
者数
者数
内数
2012年
2011年
一般入試合計
4369
85129
81476
15890
5.1
5.5
スポーツ推薦
 
219
219
218
1
 
自己推薦
135
481
481
175
2.7
3.4
自己推薦1月
6
26
26
11
2.4
 
自己推薦3月
4
28
24
9
2.7
1.3
分野優秀者
10
31
31
12
2.6
4
商業高校推薦
 
10
10
10
1
 
自治体推薦
 
7
7
7
1
 
トップアスリート
若干名
2
2
 
 
1








青山






入試
募集
志願
受験
合格
追加
競争率
方法
人数
者数
者数
者数
内数
2012年
2011年
一般入試合計
2598
55692
51860
9964
222
5.2
5.6
公募合計
 
337
337
152
2.2
 
基督者推薦
 
11
11
10
1.1
 
スポーツ推薦
67
161
161
78
2.1
 
スポーツ強化
22
25
25
25
1
 
自己推薦
43
140
140
39
3.6
 
基督教同盟校
 
42
42
38
1.1
 








学習院






入試
募集
志願
受験
合格
追加
競争率
方法
人数
者数
者数
者数
内数
2012年
2011年
一般入試
 
13214
12762
3600
3.5
3.5
公募推薦
若干名
144
140
72
1.9
2.2
自己推薦特別
若干名
14
14
7
2
2.6

(旺文社パスナビより 一部抜粋)





ご意見・ご連絡は・・・
へおねがいします。