2012年5月31日木曜日

戻ってくる子

M上のことを書いていて思ったことがある。
ウチは卒塾生がよく訪れてくれるのだが、これはどこの塾でもそうなのだろうか?

当たり前だが、高校生にとって、塾や予備校はメリットのある場所でなくてはならない。
メリットがなければ、たとえタダでも通わないであろう。
例えば、成績優秀な高3が浪人してしまった場合、多くの予備校が特待生として受け入れている。
しかし、わざわざお金を払って、行きたい予備校や塾へ行く浪人生はとても多い。

私の塾では中3で一旦辞めてしまう子も多かったのだが、戻ってくる子もこれまたかなり多く、結果的に高校生主体の塾となっている。
講師と多くの時間を共有し、でも勉強は結局一人でやるものだと理解し、それでも困ったとき、最終的には“メリット”のあるところへ来てくれたのだろうと自画自賛している。
特に小論文は信頼してもらっているようで、推薦・AO狙いのみならず、一般受験でも小論文に抵抗のない子が多くなった。

ところで私は、いつの間にか小論文の実績を積んでいた。
一昨年度には慶応経済、昨年度は慶応SFC2科受験)に合格者を出している。
慶応の小論文は非常に高度で、やっつけるのはとてもワクワクする。
そうそう、早稲田社学の編入試験に合格した子もいた。競争率18倍だった。
どこまで役に立ったのかはわからないが…。

小論文では、書く技術を身につけるとともに、専門分野に進む高校生は専門家になることの自覚を持つことから始めるべきだ。
福祉なら福祉のプロに、医療関係なら医療関係のプロに、法学部なら法律のプロになるべく、知識を仕入れ、ふさわしい思考ができるようにならなければならない。
それらの基礎課程を4~8時間踏み、実践的な演習へと移るのが私の小論文講座である。
つまり、ごく普通である。
ここまで進めばたいてい、受験生平均点くらいは取れるようになる。
受験生平均が取れるということは、競争率2倍なら合格するということである。
ここから先、トップクラスへの道に入ったときは国語の能力も必要になるし、人生経験や数的思考力がモノをいうこともある。
また、小論文は自分の言いたいことを書けばよいのではなく、読み手がどう受け取るかが大事なので、そのための技術を伝える時間が必要だ。
高度な小論文では、出題者の意図を読み取り、問いの条件を完全に満たしていなければ合格点は取れないようになっているのだ。

…小論文の技術についてはまた別のコーナーで書くとして、話を元に戻す。
えーと、何だっけ。

そう、高校生になって戻ってくる子の話だった。
思い出したのは、“勉強法の真実ブログ”では副室Kが書いていた子。Sだ。(“副室Kの言いたい放題・驚異の中学生”参照)
Sは小6から、主に副室Kが担当していた。副室Kとは友達親子みたいに仲がよかった。
最初は中受。私立中に入り、高校は外に出たくて高校受験をした。
高校に合格したところで、「ひとりで勉強してみる」と言って塾を辞めた。
高校では陸上競技で活躍していたが、AOで難関ICU(国際基督教大学)を受験したいと私を訪れた。
エントリー課題が出ており、エッセイを書けというものだが、それを評価してほしいとのことだった。
私は一読し、言葉を詰まらせた。添削ではなく、求められているのは評価だ。
MJ2倍なら受かる。競争率は何倍?」
S「3倍です。」
MJ「・・・」
しばらく沈黙してしまった。
しかも期限までそう時間はない。
S「どこがいけないんですか。」
MJ「はっきり言うが、エッセイになってないんだよ。」
S「・・・」
はっきり言い過ぎたかもしれない。キツかったかもしれない。空気が重い。
MJ「そもそも随筆というものはだな、(・・・くどいので中略)。向田邦子のエッセイを読んでみて、自分のと比べてみぃ。添削したものはメールで送るよ。」
それだけで、Sは帰っていった。
その日のうちに、私は添削したものをSに送った。


後日、Sは昔一緒に通っていた友人と挨拶に来てくれた。
ICUには合格したと聞いていたが、エッセイをどう直したかは聞きたかった。
MJ「送った添削、参考になったの?」
S「使わなかった(キリッ)」
MJ「・・・」
S「でも、直した。」
昔から不思議な日本語を上手に使う子だった。
よくわからなかったが、向田邦子は読んだらしい。


大学受験では、人生を賭けているような感覚に陥ることがある。
しかし実は、大学名というレッテルが人生を左右するわけではなく、大学受験に向けて努力した時間、精神、得た知識、思考力が、そのまま人格と化したり、考え方を支配したりすることもある。
その意味では、大学受験時の“努力”が人生を変えることもあるだろう。

Sは、偏差値的には、中学より高校、高校より大学、とステップアップした。
Sに限らず、私たちが担当した子は、高校合格で塾を辞めてしまっても、その後の進路をしっかり決め、迷ったりせずに目標に邁進して結果を出す子が多いと思う。
抽象的な言い方をすれば私たちの精神的な部分、もう少し具体的に言えば思考力を、自分に必要な分だけ、メリットがある限りで受け止めてくれたのではないか、と思っている。
高校合格で塾を辞めたのに、「○○大学に合格しました」「○○の専門学校に決まったよ」と報告に来てくれる子の、なんと多いことか。
また、「ここで講師をやりたい」と言ってくれる子のなんと多いことか。
そういう子たちは、すぐに社会に出しても大丈夫だと思わせてくれるくらい、たくましく、芯を持ったように見える。







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2012年5月26日土曜日

なぜ勉強するのかリターン1


先日、元・生徒に頼まれて(強引に捕まえられたのだが・・・)、エントリーシート(ES)を考えた。
そう、就活である。

元・生徒の名前をM上(仮名)としよう。
高1で入塾し、高3までいた。
そう、たしかに“いた”が、部活動で忙しく、スケジュールは不定期だった。
テスト前になると現れ、疑問点が完全に無くなるまで追及する(講師を捕まえて放さない)ヤツだった。
はっきり言おう。ちょっとウザい。

それは大学4年生の今も変わってなかった。
メールで10通くらい「これでいいか、これでどうだ!」という感じで捕まり、とどめにはファミレスで徹夜させられた。
供述調書ができるまで寝かしてくれない刑事みたいだった。
はっきり言おう。かなりウザい。

ここで少々弁護を。
就活のESを人に手伝ってもらうことに不快感を覚える方もいらっしゃるだろう。
しかも私は一応、国語と小論文の専門家のはしくれだと自称している。
そんな人間を捕まえて書けば、ESは通るに決まっているではないか、と思われるだろう。
その通りである。
だから、私は書いていない。
あくまでも、M上の疑問に答えただけである。
M上には書きたい、伝えたいことがある。
しかし技術が未熟なおかげで、読み手に100%伝わらないのだ。
読み手は私と同年代か私より年上の人で、社会で厳しい仕事をしているはずだ。
そんな読み手に対し、自分という人間を伝えることは、大学生には難しいだろう。

私「これは削除したほうがいいなんじゃないか?」
M上「いや、これはどうしても入れたいんです。」
私「ならばこういう書き方がいいんじゃないか。」
M上「それだと俺らしくなくなっちゃうんです。」
こんな問答がずっと続いた。
はっきり言おう。とっても・・・。


夜明けの明星とともに、とてもM上らしいESが出来上がった。
正直、文章は高3レベルである。
しかしその他の努力の甲斐もあってESは通り、M上は最終面接に進むことができた。
そこにはたった4人、M上以外は早慶上智だったという。
後に役員に言われたそうだ。
ESは君がNO.1だった」と。
M上は法政大学である。

私がM上のESに関わった理由、それがすなわち、「なぜ勉強するのか」を考えることに繋がる。
前の”勉強法の真実ブログで、私は、
「勉強はしなくてもよい。勉強したければすればいい。」
「勉強は、スポーツや芸術と同じ位置づけである。毒にも薬にもなりうる。」
「勉強より情緒(EIEQ)のほうが大切である。」
「勉強法の両輪は、忍耐力と思考力である。」
「頭の良さ(思考力)は、後天的に身につく。」
などと述べてきた。
実はそれらを体現していたのがM上だったのである。

M上は小さい頃からずっとサッカーをやっており、その実力は群を抜いていたという。
中学時代の学業成績は振るわなかったが、中3のときに猛勉強し、法政二高に入った。
高校で怪我をするも、当時1部リーグだった法政大サッカー部のセレクションに合格した。
レベル的にはJリーグの一歩手前であろうか。
文武両道といえばそれまでだが、要は目標ができると猛進するヤツなのである。

M上は人当たりがよく、それをESでも前面に出していた。
しかし実のところ、“人当たりがいい”なんていうレベルではなかった。
“自分がいる場が暗いなんてありえない。俺が空気を変える。”
という意気込みがあったようだ。
目上には失礼にならないように、気を遣っているのを悟らせないように気を遣う。
話をしていると、あるとき急に懐に飛び込んでくる。
周囲の観察を欠かさず、思いやりに余念がない。
正に、
「勉強したいときに勉強し」
「スポーツも勉強も同等に位置づけ」
「情緒が高く」
「忍耐力と思考力が鍛えられ」
ている。

性格、と言ってしまえば話は終いである。
しかし、“○○へ行く。○○になる。”
そう思った途端、とことんまで努力することは、努力できることは、果たして性格のみで為せるワザなのだろうか?
今回のESは、M上の能力を超えてしまっていた。
当人にもそれが分かっているからこそ、私のところに来たのだろう。
しかしそれでも、彼は安易な手段(=代筆)を選ばなかった。
こうして、勉強の苦手なM上が、とてつもなく勉強ができる学生たちに迫ったのだ。

中途半端な思い入れであれば、私も適当にアドバイスして終わらせていたかもしれない。
ESなんて、人に書いてもらうものでは決してないからだ。
しかし、そこ一社しか受けないという彼の意気込みと、自分が生まれてきた意義まで考えて思い描いた将来のビジョンを聞かされ、私は負けた。
熱を持つ人間は他に感染させる。
私が年甲斐もなくESなんぞに付き合ったのは、技術的に拙い彼の書いたESが、どう評価されるかを見たかったからに他ならないだろう。
だからこそ、私は彼の申し出を承諾した。
彼のESすなわち彼の生き方が大企業においても評価されたことで、今の社会もまんざら捨てたものではないと思える。

いつもいつも、自分の能力以上に努力してきたヤツは、これからも能力以上の壁を越えようとするのだろう。

なぜ勉強するのか・・・

壁を越えたいからだろう?


エピローグとして。
彼には現在高3の妹さんがおり、今の塾に通っている。
その妹さんの何気ない一言を、このテーマの締めくくりとさせていただく。

「ワタシ、推薦で○○大学に行くの。」

“行きたい”や“行けたらいいな”ではない。
“行くの”だと。
絶対に行くんだと。
ああ、兄妹、似てるわ・・・







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2012年5月23日水曜日

ブログを移転再開しました


ブログ移転にあたって
この度、私ことMJは、スーパー副室Kとともに“プロフェッショナル個別”なるものを立ち上げた。
このブログは塾の宣伝ではないので、塾の名前は内緒にしておく。
ただし場所は当然、港南台である。
まあ私のことなので、そのうちうっかり塾名を書いてしまいそうだが・・・
旧ブログはこちらです⇒http://yokohamatotal.seesaa.net/

さて、経緯は省略するが、納得できる方針で授業ができるようにした。
要はプロ個別にしたわけだが、勉強法の真実ブログでも書いた“なぜ勉強するのか”を徹底的に追及した結果であった。
ブログを移転して再開しようと思ったのも、私自身にとって新塾立ち上げは一つの区切りであり、世の中においては転換期だと感じたからだ。(副室K注;なんと大袈裟な・・・)
私は、政治・経済の変化は必ず中高生にも影響する(というより、多感な中高生により影響が出る)という持論を持っているのだ。

トー・・・もとい、現在の塾では、基本的に私と副室Kができる範囲で授業を行っている。おかげさまで、もう空きはわずかである。
家賃や備品費を極限まで低く抑え、授業料も極限まで抑えた。それでもお茶とお菓子は常備し、空腹のまま集中力を失うことを避けている。ために一般的な個別塾の外見や内装とはかなり異なってしまった…(勉強法の真実ブログ始まって以来、初の写真)



それもこれも、「塾は“人”である」という理念のためである。
自然、来てくださる方は、私と副室Kに“賭けて”下さる方ばかりとなった。
こんなにありがたいことはない。

そのようなわけで、“なぜ勉強するのか”を追及しよう。(副室K注;ぜんぜんつながってないし・・・)
では、文字数も多くなってきたので、次回から!


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