2013年1月30日水曜日

中学生へ


現在、大学受験生が今、最後の、本当に最後の追い込みに入っている。
そんな中でなぜ「中学生へ」なんていうメッセージを残したくなったかというと、ある高3が下級生に対し、「ホント、勉強しときなよ!絶対に後悔するから!!」と叫んでいたからである。
講師の単なる煽りとは、言葉の重みがまるで違う。

個別塾であるのに座席からパーテーション(しきり)を取り払ってからというもの、だれもが見知りとなり、会話が自然に増え、なんだか塾が部活のようになってしまった。
部長役の高3もおり、授業後にはゴミの後片付けまで高3たちがやってくれている。
次世代の高2も、順調とは言えないまでも受験色に染まりつつある。
中学生は高3がいると張り詰めた空気を察知してたいへんおとなしく、わずかな私語も慎んでいるが、いないと実にのびのびとしている。
このあたりはまるで部活の風景のよう。
そう、まるで「勉強部」なのだ。

で、真面目な話をすると、私も副室Kも、物事を逆算して考える癖がある。
「高3のときにはこういう状態になるのが理想だ。だから今はこれが大切だ」というように。
そんなの当たり前じゃないか! という声があちらこちらから聞こえてきそうなので、もう少しだけ詳しく。


まず、算数数学について。
塾の見解として、大学受験においては、数学は地歴公民(社会)より絶対的に有利な科目であるといえる(大学の私立文系学部入試の多くは数学or社会の選択)。
暗記量が少なく、概して言えばライバルも少ない。
特に私立文系受験なら数学を選択“できれば”ものすごく有利になる。”できれば”だ。
国公立受験なら数学は必須科目だ。
では、数学が“できる”状態とはどのような状態か。
それは、
代数では「等式の性質を駆使し、数式を自在に操れる状態」
幾何では「円・相似・三平方の定理を自在に操れる状態」
解析では「座標の概念を理解し、グラフ⇔式を自在に操れる状態」
だ。
つまり、計算は中1・中2、図形と関数は中3が肝心、ということになる。
数学は小学校から脈々と続く科目なので中学生ではすでに差が開いてしまっていると思われがちな科目であるが、実は中3の春までなら取り返しがつく。
むしろ、抽象的思考力が発達しきっていない中1で詰め込むよりは、中2以降にガンガンやったほうが伸びる場合もある。
小学校の内容に不出来があれば、復習すればよいだけである。
じゃあ小学校の算数はあまり大切じゃないの? と言われれば、実はそうかもしれない。
小学生で算数が苦手である場合、抽象的思考力が未熟である場合が多い気がする。
つまり、脳が幼いのである。
そんな段階に難しい算数を詰め込めば、算数嫌いになりかねない。
以前にもブログに書いたが、小学生は式など立てる必要はないのである。
答えさえ出せればよい。立式は中学生でやる。
で、中1・中2で等式の性質をフル活用した計算が出来るようになれば、中3の計算は余裕。
中3では図形と関数をリキ入れてやる。
文科省カリキュラムでは中3と数ⅠAはほとんど同じことをやっているので、中3で余裕なら数ⅠAは余裕。
数ⅠAが余裕なら、努力すれば数ⅡBも可能(これは余裕とは言わない)。
数ⅡBを克服したら時間次第で数ⅢCも可能。
こんな具合だ。
だから、逆算すれば、計算は中1・中2で等式の性質に。関数・図形は中3でリキを入れるのが正しい。
ただし、やはり難問には思考力が必要であり、小学生のうちから思考回路を身につけておくと有利なことは間違いない。


次いで、国語(現代文)について
国語なんかは小学校に上がる以前から脈々と続いている科目なので、根が深いと思われがちである。
付け焼刃の学習で成績が上がるとは思えない科目だが、私は「国語はテクニックである」を提唱しているので、国語は必ずしも積み上げの科目でないことをお伝えしてきたし、むしろ国語は数学に近いと言ってきた。
ただ、「国語はテクニックである」と言い切るためには大事な前提がある。
これもお伝えしてきたが、それは漢字である。
漢字が書けない、漢字の意味がわからない、ではテクニックの効果も半減してしまうのだ。
そして今回、国語についてもう一つ付け加えさせていただく。
テクニックの効果を倍増させるもの、それは「経験値」だ。
「経験値」は、いろいろなことを知ることで、またいろいろなことを考えることで上がる。
「経験値」が上がると、テクニックを使わずに解ける問題が増えたり、出題された文章の内容を読み取れることが多くなるのだ。
では、どのようにしたら経験値が上がるのか。
それには、たくさんコミュニケーションをとること、たくさん読書をすることだ。
まず、国語は「問いに答える」科目なので、相手と正しく応答できることが求められるのだ。
コミュニケーションの訓練相手は、コミュニケーション能力の高い相手が望ましい。
小さな子どもは身近な人の真似をする傾向があるので(特に必ず親の真似をする)、身近な人のコミュニケーション能力が高ければ、自然と子どもも高くなる。
大きくなってからは、子どもは学校や課外での活動でコミュニケーションの訓練をするようになるから、できるだけ人付き合いをしたほうがよさそうだ。
読書については、勘違いなさっている方も多いが、なにも活字のみの本でなくともよい。
マンガでもネットでも雑誌でもいい。
とにかく子どもが興味を持ったものはすべて与えるのが正解である。
直木賞作家で日本ペンクラブ会長の浅田次郎氏は、若い頃米を買う金で本を買ってしまい、食事にも事欠いたことがあったそうだ。それくらい、本にお金をケチってはならないのだろう。
ただ、読書をしたからといって現代文の偏差値が高くなるわけではないのでご注意を。読書はあくまでも、経験値を積むためのツールの1つに過ぎないのである。
だから、「ウチの子は本が大好きなのに国語が苦手で」という事態もよくあるのだ。
繰り返すが、読書は国語ができるだめの必須要素ではなく、有利になる条件の一部にすぎない。
まとめると、国語は1に漢字、2にテクニック、3に経験値なのだ。
逆算すると、小学生にしろ中学生にしろ、漢字をしっかり練習し、あとは経験を積め、ということになる。
テクニックはいつでも身につけることができるのだから。


英語について
数学は出来ること出来ない子に極端に分かれ、平均点付近の子はむしろ少ないという。
社会は平均点付近の子が最も多く、平均点から離れるほど人数は減っていく。
ところが英語はというと、出来る子が最も多く(満点はさすがに少ないが)、点数が下がるほど人数が減っていくのだ。
(↓参考URL:平成24年度 神奈川県公立高等学校入学者選抜学力検査の結果↓
http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/life/454693_749322_misc.pdf

英語はみんなが重要だと思っていて、みんなが力を注いでいるので、できて当たり前のようになっている。
逆に言えば、できないのは単なる努力不足であり、努力に比例してできるようになるのが英語の特性だろう。
では努力するとして、できるだけ効率のいい努力をしたほうがいいと思う。よね。
最も効率のいい方法は、英語を好きになることだ。
塾で統計を取ったところ、英語の成績が偏差値60を超える子達は、ほぼ全員、高校時に洋楽を好んで聴いている。なんと、ただそれだけだったのだ。
そして英語に対する努力とは、“毎日”勉強し続けることなのだ。
英語の勉強を1日やらないと、3日分の英語を忘れるという。
だから英語は毎日、少しでもいいから勉強しなければならない。
ところが“毎日”となると、案外できないのが人間というものである。
だからこそ、英語を好きにならないと、とても毎日は続けにくいのだ。
もちろん、英語だって高3になってから必死でやれば得意になる可能性はある。
しかし、その暗記量たるや、とてもじゃないが好きでなければ暗記しきれない量なのだ。
(好きなものは自然に覚えられる。好きならそんなに苦労ではない。)
逆算すると、中学で英語を克服できなかった場合、高3時には「英語を捨てる」という選択もしなければならない可能性もじゅうううううぶんにある。
さらに言えば、高2になっても英語に苦手意識がある場合、学校の定期テストでは英語を捨て、さっさと受験英語の学習に切り替えたほうがよい場合も多い。
英語は、「得意にならない限り苦しいだけ」の科目であるとインプットしていただきたい。


とは言うものの、それらが身にしみてわかるのは、多くは高3になってからのようだ。
しかしながら、親御さんや教師が「今勉強しないと後で苦労するよ!」と、先回りして勉強をするよう仕向けても逆効果になる場合も多いのではないだろうか。
子どもは通常、直近の未来しか考えられず、何年も先の苦労など見越すことはできない。
だからこそ、「今、何に最も力を注ぐべきか」を指導者が理解していることは、ものすごく重要なのである。
中1・中2なら計算、中3なら図形、という具合に。
あれも大事、これも大事と全部詰め込んではパンクする子もいるし、勉強も押し付けられるだけの味気ないものになる。
いたずらに目先の点数だけを追うのではなく、大学受験を見据えた指導をすることこそ、子どもはいきいきとするし、子ども自身が「何が大切か」を見極めるようになる。
それこそが弊塾の理想であり、そのために「高校生のための塾です」「中学生が入会されても目標を大学受験とします」と明言している。
中学の勉強はとても大切であるが、単に点数だけ取ることが大切なのではない。
詰め込みで高得点を取っていても高校で行き詰まることも多いという事実も、中学での学習姿勢がいかに大切かという真理を逆説的に示している。
やはり、中学生の間から大学受験を視野に入れながら勉強すべきなのである。


下級生は、上級生が勉強している姿を日々、今、まさに目の当たりにしている。
3になればあれくらい勉強するんだぞと、それが当然なんだの、と思っている。
たとえ兄姉がいても、兄姉は通常は勉強部屋にこもっていたり、外で勉強していたりするから、下の子が兄姉の背中を見ているとは限らない。
ならば、大学受験は自分にはまだ関係のない世界だと思っているかもしれない。
しかし、勉強部はちがう。部活なのだ。
“勉強”という共通した活動があり、“成績の向上”という絶対的なものさしがあり、“受験”という人生を賭けた試合があり、先輩がいて、OBがいて、指導者がいる。
そんな場所だから、高3の背中に数年後の自分を重ねてしまうことは自然なのではないだろうか。

高め合う仲間が集う勉強部  MJ
(俳句にしようとして何のひねりもなし。そして季語もなし)

勉強部の日常風景は、部屋の模様ではなく、子どもの作る空気のスナップだ。
(詩的表現にしようとして意味不明瞭)

そんな塾にしてくれた子どもたちを、誇りに思う。







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