2019年7月14日日曜日

大学受験は変身願望だ


もうね、平成までは通り過ぎちゃって令和とかになっちゃったらしいので、昭和の時代の私の考え方なんか持ち出したところでね、どーせね、って思うわけですよ。文明開化の時代の天保頭、ってやつですよね。
でもね、もうこのへんがオヤジなんですけどね、これだけはどうしても言わないとストレスが溜まってきているんですよ。ほんとすみません。

過去にうまくいかなかった子たちを思い浮かべると、今でも心が痛むんですよ。だからですね、そんな思いはもう、二度としたくないんです。
こういう言い方をすると、生徒のためではなくて私のために書いているみたいですが、その通りです。
ほんと、今でも、うまくいかなかった子たちには、11回は心の中でごめんなさいしてます。
その子たちが受験生だったころには、私は必死だったと思います。でも、うまくいかなかった。なぜなのか? いつもいつも考えるわけです。
わたしが年寄りだから生徒の気持ちがつかめなかったのか? もっと寄り添うべきだったのか? それとも突き放すべきだったのか? それとも生徒自身の気質の問題だと割り切るべきなのか? 未だに答えは出ないのです。

私はね、大学受験って、究極には変身願望だと思うんです。
大人になりたい、あんなことやこんなこともしたい、ああなりたい、こういうふうになりたい、という欲求です。だから、「モテたい」くらいの動機で十分なんです。
そして、さらにその根底には、コンプレックスや、進学校なら「プライドを維持したい」という欲求があるはずです。それらは、時として怒りに近い感情です。
だから、高校生のままでいたい、まだまだ子どもでいたい、現状で十分満足、という場合には、そもそもうまくいかないんです。

大学受験は、志望校と自分の実力が離れていればいるほど、捨てるものが多くなります。睡眠時間はもちろん、趣味や友達関係にだって、かなりの制限をかけなければうまくいきません。
でもそれこそが、変身に絶対必要な要素なんです。つまり、我慢こそが大学受験なんです。
来年でもできることを、受験生である今、やってしまう。それで我慢をして勉強している受験生と同じ結果を得ようなどと、虫が良すぎるんです。
人より伸びようと思ったら、人より多く、効率よく勉強しなければなりません。単純な話なんです。でもそれができないから伸びないわけで、ならば塾では授業以前に、そういう当たり前の理屈を語らなければならないと思うのですが、そこで最初の話に戻ってしまうんですよ。

どこまで寄り添うべきか。

どこまで踏み込むべきか。

突き放した方がいいのか。

・・・私の頭は古い。でも、勉強には絶対に普遍性がある。昔も今も変わらぬことがある。それは、人より努力しないと人より伸びない、という事実です。
方法論やツールは変わります。変化します。でも、人間がそれほど変わっているとは思えない。人間なんて、旧石器時代から気質なんて変わっていないと思いますよ。
よって、ここに私の考え方を示して、今日は終わりにしようと思います。
愚痴ですみませんでした。


オヤジの現役時代(大昔)
偏差値405月の模試)から現役で早稲田に合格するために、どうすべきかをよく考えた。

受験勉強以外のものは邪魔でしかない。
 → 雑念、煩悩、用事、会話、移動時間、トイレ、風呂、食事、睡眠は邪魔だ。

・移動時間は英語を聞く。
・トイレ・風呂・食事中も勉強。
・会話は唯一の気分転換。笑える話か、役に立つ話しかしない。短く切り上げる。
・英語を聞けない移動時間はとにかくダッシュ。
・睡眠は最小限。限界まで布団では寝ない。
・眠くなったら机にうつぶせて寝る。
・雑念や煩悩が起きたら運動。運動は脳によい。
・体力温存のために、眠気が起きない限り机に座らない。寝そべって勉強する。
・学校は三分の一サボる。
・学校の授業中は可能な限り寝る(起きている価値のある科目以外)。
☆しかし、日曜日の夕方以降は自由時間とした。
☆ここまで決意してもすべてはやり切れない(誘惑や煩悩に負け、その度に自己嫌悪)。
☆結局、浪人。

浪人時代
1回だけ模試である科目の偏差値が80を超えた。その後も常に模試の成績優秀者欄に名前が。
☆某予備校の特待生に。しかしテキストだけもらって宅浪。
☆遊びたいなら、模試で第一志望の大学の偏差値より+8をたたき出してから。
☆おかげで、浪人時代は16時間分の勉強を必須に、やる気次第で+αの勉強しかしな
 かった。
☆入試直前まで、週2回バイトしてた。
☆浪人時代は、実は楽しかった。