2016年4月11日月曜日

祝! 大学合格! 2016 2!



祝! 大学合格! 2! 2016年度卒業生のNくんのこと

先日、お母さまといっしょに、受験を終えたNくんが教室に顔を見せてくれた。
彼とは、彼が中1のときから6年間、多くの時間を共有し、たくさんの話をした。
性格は穏やかだが芯はしっかりしていて、自分自身を客観的に観察しながら着実に成長していった子だった。

上のお子さんも昔の塾に通っていたから、ご家族とは8年もの長いお付き合いだった。
お母さまやお父さまにはたいへんお世話になり、教室移転のときにはアドバイスをいただいたり、机を頂戴したりした。
お世話になったのはこちらの方なのに、ずいぶんなお褒めの言葉をいただいて、ものすごく恐縮です。

Nくんの個性の一つに、マニュアル的な考え方や解き方に関しては、よほど納得しない限り受け入れなかった点がある。
例えば、中学数学の計算では(高校数学でもそうだろうけれど)、途中式の書き方にも正しい・正しくないがある。
ところが彼は、それがどうしても嫌だったみたいなのだ。面倒くさかったのかもしれないが。
普段から「勉強したければすればいい。嫌ならやらないほうがいい。無理に勉強させるのは心と体に毒」と公言している私だから、もちろん強制も矯正もしなかった。
だから、「もし暗算で全部正解できるなら、それでいいんじゃない?」と言った。気がする。
それを真に受けた(いや、中学までは本当に暗算でもいいと思っているのだが)のか、 Nはすべての計算・方程式を暗算でやってのけた。
解が分数になる連立方程式までも! 
そして、県入試本番でも暗算のみで数学を解いたのだ!
ほんのちょっとだけ、個性的でしょう?

あと、Nくんは成績に対してほとんど欲がないみたいだった。
クソ努力してトップになるより、ソコソコの努力で平均のがいい、と言っていた。
その通り、成績はオール3前後をウロウロ。中3後期はさすがにちょっと勉強して、それでも内申は30/45
受験した高校の偏差値は50
まさに有言実行。嘘偽りのない性格のNくんでありました。

そう、Nには嘘とかごまかしとか、そういうものがなかった。
やりたくないものはやりたくない。やる必要があると思えばやる。
家でも気分が乗らなければ勉強しない。        
高校の課題には文句ばかり。
数学も苦手な分野には手を付けない。
結局、勉強するためには塾に来なければならなくて、ちょっとずつちょっとずつ、塾にいる時間を長くして、ちょっとずつちょっとずつ授業時間を増やして。
敵陣をちょっとずつ包囲するように、ちょっとずつ勉強時間を増やしてきた。

突然ですが、生徒からの私の評価。
1位「こわい」
2位「話しにくい」
である。
好意的な評価でも、「近所のおじさん」「ダイエーで日曜日に買い物してそう」
こんな評価だが、それにしても不満はある。
「話しにくい」はわかる。歳も離れすぎているしな。
「近所のおじさん」もわかる。コンビニに行くようなノリで出勤してるしな。
が、「こわい」は理解できない。
20年近く塾をやってきて、私が生徒に声を荒げたのは1度だけである。
つまり、世間一般で言う「こわい」に私がなるのは、時間にして数百十万分の一なのである。刹那ですよ。(20年間で1分だけ)
もちろん、手をあげたことは一度もない。
ひょっとして、
「高2の間に(英検)2級に受からないとMARCHには入れないよ」
とか、
「単語? 1週間で1000個くらい覚えられるよね?」
とか言うから「こわい」のか?
まあそれはいいとして、Nには一度だけ説教?をしたことがある。
MARCHに合格する能力があるのに、努力しないのはもったいない」
という内容だ。
いつも「勉強するもしないも本人の自由」と言っている私が、矛盾したことを言ったとは思わないでほしい。
Nの通う高校からは、ニッコマでもじゅうぶんすごい。
MARCHとなると、3年間で数名という快挙である。
私「可能性が無いなら言わない。お前が『ニッコマや明学でいい』と本気で思っているなら、それでいい。でも、ちょっとでも『MARCHに行けたらいいなあ』という思いがあるなら、挑戦する前からその可能性を捨てるのは、どうしてももったいないと思ってしまう。もちろん、努力しても届かないかもしれない。でも個人的には、お前に挑戦してほしいんだ。」

私は一方的にしゃべるのが嫌いで、そして話を聞くときに使うエネルギーの大きさも認識してるから、30秒以上連続してしゃべらないように気をつけている。
でも、その時は言った。
まあ、Nがどう感じたかはわからないが、その時からかな。毎日塾に来るようになった。

エピソードをもうひとつだけ。
数学の苦手分野の克服には、私も一役買ったと自負している。
それは数Aの「集合」と「場合の数」だ。
Kから、「Nは、どうしてもやらない分野がある。後回しならそれでもいいんだが、ぜんぜん克服するつもりがないみたいなんだよ。お前のせいだ。」と相談(非難)を受けた。
私はⅡBの受験指導ができないので、Nの数学は副Kが担当だった。
中学の時にNの数学は私が見ていたので、そのやり方が染みついているというのだ。
実際に授業をしてみたら、何のことはない、暗算癖のせいだとわかった。
場合分けとかを図示しないで、頭の中だけでやろうとしていたのだ。
王道を行く数学専攻の副Kにとってみれば、それはすなわち邪道。存在してはならないはずの解法なのであった。
私はもともと外道だし、邪道くらい何とも思っていないので、Nには中学入試の考え方を使ってセンター過去問を解く方法を授業で伝授した。(副K注;実際は、Nといっしょに問題を解いて、「できた?」とか言ってヘラヘラしていたただけです。)
ところが、なぜかそれがヒットしたようで、Nはたちまち私の数Aを超えていった。
あっ、という間だったなあ。

そう、あっという間だった。
Nさんご一家とは8年にもわたるおつきあいだったが、気づいたらいつの間にか、末っ子のNが高校卒業を迎えてしまった。
Nが卒業することは最初から決まっていたことなのに、時が経てば当然に迎えることなのに、何か納得できないような気がするのは私だけなのだろうか。
ヒラリひらりと勉強から身をかわしてきた少年が、県内でも最も平均レベルの高校から、青山学院大学に合格するという偉業を達成した。
「ウチの家族は学歴志向が無いんだよね~」なんて言っていたのに、最後の最後になって追い込んで、けっこうとんでもないことをやってのけた。
入塾時、中1の内申はオール3に満たなかった。
それから6年。成績なりの高校に入り、比較的のんびりと過ごした。
家族からも干渉されず、部活にもさほど熱中せず、趣味を謳歌した。
「地頭がよかったんでしょ」と人は言うかもしれない。
まあ、そうかもしれない(笑)
読書量(マンガの)も半端なかったし。
でも、MARCHに入るのに地頭なんて関係ない、って他の子も証明しているから。
中1からずっと通って、いろんな話をしたじゃないか。
Nはのらりくらりに見えて、実はいろいろ考えてたもんな。

うーん・・・、やはり8年となると思い出すことが多すぎて、とりとめがなくなる。
先日、お母さまからとてもあたたかいお言葉をいただいてしまって、その余韻もいまだ消えない。
で、Nに連絡したら、〝Delivery Status Notification (Failure)
・・・メアドかメール設定を変更しとるじゃないか!
「ガラケーでじゅうぶん」とか言ってたくせに。