2012年12月29日土曜日

勉強法の常識を疑うその7~現代文・国語の常識と真実3


国語(現代文)の締めくくりに、いただいたお言葉を書かせてもらいます。

以前、“勉強法の真実ブログ”を読まれた方からメールで学習相談を受けたことがあった。
その方に、この記事を書くにあたって引用させていただきたい旨と、その後のお子様の様子を伺いたいと思って連絡させていただいたところ、引用は快く許していただけることと、お子様は意欲的に勉強中だとのお返事をいただいた。
たいへん恐縮です。

(メール相談をいただいた方の文章。途中省略があります)
「今まで聞いたこともない、はじめてのことばかりでビックリしています。
ブログの内容を読んでいて、とても共感することが多かったので思い切ってご相談させていただきましたが、知らない娘のことをよく考えて下さり、読んでいて納得することばかりです。本当にありがとうございます。」
(中略)
「娘に先生のメールの内容を伝えたところ、目をキラキラさせて…(中略)
国語のテクニックについては、まったく塾では教えてもらったことはないそうです。
文章の内容説明をしてくだり、『問題の答えは、この部分の内容からになりますね。』という感じのようです。だから、その時は『そうだよな、確かにそうだよな。』と納得して終了。
そんな感じで帰ってくるようです。
でも、また、問題を解くと、なんだか間違っている、どうして国語ができないんだろう?
という繰り返しです。
『テクニックがあるの?』という感じでした。
その後、娘は塾で○○の過去問を2回解いたのですが、小説と論説文の選択問題が全部正解していたり…(中略)、本人なりに、先生からのアドバイスを刺激に、設問や言葉に意識をしながら問題を解いていったそうです。すごく喜んでいました。
国語の成績が安定するかどうか、まだ、わかりませんが
「全然ダメじゃないんだ。」と前向きになっていました。」


この方とのメールで一番嬉しかった言葉は、何と言っても最後の1行だ。
一人の子どもが、「全然ダメじゃないんだ」と前向きになった。それだけでいい。私がほんの少し役に立った。嬉しい。

現代文のテクニックを身に付けるメリットは、点数を上げるためだけではないのだ。
テクニックを身に付けることによって、苦手だと、できないと思っていた現代文に希望を持つことができ、他の科目に時間的・精神的に良い影響が出るのだ。
ド○ゴン桜でもそう。115時間×300日の勉強を支えるもの。マンガの話だが、もしそれがあるとしたら、それは前向きさ、ひたむきさに他ならない。
その精神を支えるものは、「やればできるようになる。自分にもできる。絶対に合格したい」と思い続けることだ。
そうでなければ、受験は絶対に上手くいかない。ほんの少しでも「どうせ、きっと、第一志望には受からないんだろうな」なんて思っていると、本当に受からない。
そんな受験は、本人の将来にとっても周囲にとっても不幸な受験となる。
逆に、最後まで自分を信じ、精一杯やったのであれば、たとえ結果が×であっても、得るものは必ずある。
ただ、それは全力で頑張ったことのある人にしか味わえない感覚なのだろうなあ。
その感覚を、私はできればすべての受験生に味わってほしいと願っている。
不完全燃焼や後悔で終わらないために。自分に嘘をつかないでいるために。
テクニックを身に付けよう。

おわり






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2012年12月26日水曜日

勉強法の常識を疑うその6~現代文・国語の常識と真実2



ゴン桜より

このブログではド○ゴン桜の話題も多い。
これは、漫画・ドゴン桜が私的に名著であると思うがゆえんであります。
塾でドゴン桜の話をすると、知っている子はドラマで見た(DVDで見たのか?)という子だけであり、マンガで読んだという子はいない。
私は逆にドラマは見ていないが、マンガとは異なる印象を与えるものではないかと想像している。
ドラマって、原作と違うことよくあるしね。

マンガ版ドゴン桜の優れているところは、まず高校生の心理をつかんでいる点だと思う。
次いで、特別講師が実在の人物をモデルにしている点だ。
ところが、ほとんどの子の感想は、「あんなの不可能だ」である。
「ギャグでしょ」と言う子もいる。
誰も登場人物の心理には注目していない。触れてもいない。
ドラマが原作と異なっているのか、私の感想とはえらい違いなので、今度マンガを塾に持っていて読ませようかとも思う。

さて、マンガ版においてもやはりテクニック面や東大合格という結果が強調されている感もあるが、ベテラン講師にとってはそれらはとくに目新しいものではないだろう。参考になることもあるが。
で、先の2点に加え、個人的なドゴン桜の特筆すべき点は、
1、きれいごとが排除されている点
2、長時間にわたる勉強時間を確保できている点
2点だ。
きれいごとが排除されれば「真実」だけが残るから、このブログの主旨と合致している。
勉強時間の確保も、本当にうらやましい。
ゴン桜の登場人物は115時間、年間300日を特別講師にべったりへばりつかれながら勉強している。
想像してほしい。並みのモチベーションであれば頭がおかしくなるだろう。
それだけやれれば1年で東大合格も可能かもしれないと思えてしまう。

そんなマンガだから、特別講師のセリフには信憑性がある。
実在の人物がモデルなのだ。だから引用したくなる。
そんな登場人物に、芥山という先生がいる。国語の特別講師だ。
その先生と私の意見が近いため、リスクを犯しても引用させていただく。

32人と同僚の国語教師の前で、芥山先生は断言する。
「出題される問題文は非常に難しい。そして時間の割に文章が長い。」
「大人が読んでも苦労する文章です。高校生に読んでパッとわかれと言うのが無理です。」
「ところが真面目な人はそうは思わない。繰り返し読んで内容を深く理解してから問題を解こうとする。」
「テスト時間内に内容を理解しようとあがいても解答には近づきません。」

そう前置きした上で、次のように告げる。
「問題を作る人の召し使いになれ。」
「自分では何も考えてはいけません。」

これを聞いた同僚の国語教師は思う。
「ひどい。いくらなんでもひどすぎます、芥山先生…」

芥山先生はテクニックと客観性を重視する人であります。
しかし人間の心理・真理をつくような言葉を次々と投げかける人でもあります。
決して、受験が終わればそれまでよ、という類のテクニックを教える人ではない。

このように、ドゴン桜をギャグだと思わずに、真剣に、書いてあることのすべてを吸収しようと思って読めば、バイブルになるようなマンガだと思う。
でもひょっとしたら、何かを犠牲にしてでも本気で何かを手に入れようとしている人でないと、心に響かないのかもしれない。

つづく






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2012年12月23日日曜日

勉強法の常識を疑うその5~現代文・国語の常識と真実1


現代文の攻略法については、ネットを見ても本を読んでも「読解力」に焦点が絞られているようだ。
ところが私は、前々から提言しているのだが、どうしてもそうは思えない。

私は現役の受験生時代から、テキストの本文解説や本文要約などは読み飛ばしていた。
ひたすら、選択肢の消去や抜き出し箇所の発見の方法を探求していた。
塾を開いてからもその方針は変わっていない。
それが生徒のためになっているという自信も、データも私は持っている。
問題文なんか理解しなくても、偏差値30台の生徒が、上智の現代文であっという間に7割を取れるようになった。
すべてはテクニックである。
そして、現代文のテクニックは非常に少なく、10日もあれば身に付けることが可能だ。

ところが、テクニックのみで解くというと、「読解力が身につかないじゃないか」と批判する人が必ずおられる。
たしかにその通りかもしれないが、読解力はテクニックを身につけたあとで、余裕があれば磨けばいいのでは?
普通の生徒なら、テクニックを身に付けたら他の科目、つまり英語や数学や理社をやりたがるけどね。
そう考えると、「読解力」を身に付けさせたいなんて言うこと自体、国語を教える側のエゴではないか。もしそうなら反省してもらいたい。
生徒が読解力を望んでいるならいい。
しかし、生徒が点数アップであり偏差値アップであり、その先にある合格を望んでいるならば、読解力は押し付けの勉強になってしまう。
現代文より配点の高い科目を、点数的に伸びしろがある科目を、より勉強したいと思うのは人情だ。
生徒のためを思うなら、「読解力を磨くくらいなら先に英数理社をやれ」というべきではないのだろうか。人間として。

お金を払って通ってくれている生徒がいる以上、ここで私の持つテクニックをすべて公開することはできない。
しかし、読解力を身に付けようとして現代文で苦しむのはもうやめてほしい。
そのためのヒントはちりばめたいと思う。

さしあたって、弊塾の元生徒であり現アシスタント講師、慶應大学経済学部2011年度合格イケメンの言葉を引用させていただく。

「問題文なんて数式にしか見えなくなった。そうなったとき、偏差値が70を超えて安定した。」

だって。


つづく






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