2016年10月31日月曜日

パリピとオタクと その1



パーリーピーポーという言葉があるらしい。 
パーティーが好きな人、という意味だろうが、そこで私はふと考えた。
パーリ―ピーポー(以下、パリピ)の反対概念はなにか、と。
普通の人、暗い人、ノリの悪い人、おとなしい人、そしてオタク、だ。
言葉の意味を考えるときには、反対の意味を想起してみるといいと思っている。
でも、普通の人だってオタクのオフ会だって集まればバカ騒ぎすることもあるだろうし、そうなればみんなパリピであると言えるじゃないか。
結局、パリピは定義されているものではなく、多数決的なイメージでしかないのだろう。
新語だしね。
見た目の派手さとか、生活態度とか、あけっぴろげな性格とか、話し方とか、クラブに通っているかとか、そういった、人からの総合的な評価にちがいない。

で、さらに考えたのは、「分け方、そこじゃないだろう」
今までいろんな人間を見てきて、特に子どもが大人になるのをずいぶん見てきたから、思える。
パリピかどうか、なんて、あまりにも問題になりえない。
いちばん大切なのは、人間と人間が1対1で対峙したとき、適切にコミュニケーションがとれるかどうか、だ。
話が特段面白くなくてもいい。
相手の質問にしっかりとした言葉で返す。
相手の真意を読み、意図がずれないように内容を選ぶ。
それが大事なのだ。
オタクだから話が下手だとか、パリピだから話が上手い、という因果関係はない。
適切なコミュニケーションが取れる人は、自然に人とつながれるものだと思う。無理をしなくても。

ところで、『EQ~心の知能指数』(ダニエル・ゴールマン)や他の記事でも読んだが、生まれつき内向的か外向的かは遺伝子で決まっているらしい。
ただ、内向的な性格の遺伝子を持っていても、訓練や環境で外向的な性格になれるらしい。
しかし、訓練をしてまで外向的、つまりパリピになる必要はあるのだろうか?
ダニエル・ゴールマンは外向的性格になることを奨励しているようにも読み取れるが、そこは私は違うと思う。
大切なのはコミュニケーションの能力だから、必ずしもパリピを目指すことはない。
世間で流行のようにもてはやされてしまうと、パリピのような性格や日常の過ごし方にあこがれるのはわかる。若いってそういうものだし。
それでも、もともと内向的な性格を無理やり矯正するのは疲れるから、早く自分の性格を悟った方が生きやすくなるのではないかと思ってしまう。
むしろ、しっかりとした受け答えができて、相手を思いやれる発言ができるようになることこそ、生きやすくなる方法と思うんだが、どうだろう。
大学教授で作家の森博嗣さんなんか『孤独の価値』なんていう本を出しているし、ビルゲイツはスピーチの中で
「オタクには親切にしよう。彼らの下で働く可能性が高い。」
なんて言っているし。

と、前置きはこのくらいにして、そろそろ本題に入りましょう。

・・・つづく


2016年4月11日月曜日

祝! 大学合格! 2016 2!



祝! 大学合格! 2! 2016年度卒業生のNくんのこと

先日、お母さまといっしょに、受験を終えたNくんが教室に顔を見せてくれた。
彼とは、彼が中1のときから6年間、多くの時間を共有し、たくさんの話をした。
性格は穏やかだが芯はしっかりしていて、自分自身を客観的に観察しながら着実に成長していった子だった。

上のお子さんも昔の塾に通っていたから、ご家族とは8年もの長いお付き合いだった。
お母さまやお父さまにはたいへんお世話になり、教室移転のときにはアドバイスをいただいたり、机を頂戴したりした。
お世話になったのはこちらの方なのに、ずいぶんなお褒めの言葉をいただいて、ものすごく恐縮です。

Nくんの個性の一つに、マニュアル的な考え方や解き方に関しては、よほど納得しない限り受け入れなかった点がある。
例えば、中学数学の計算では(高校数学でもそうだろうけれど)、途中式の書き方にも正しい・正しくないがある。
ところが彼は、それがどうしても嫌だったみたいなのだ。面倒くさかったのかもしれないが。
普段から「勉強したければすればいい。嫌ならやらないほうがいい。無理に勉強させるのは心と体に毒」と公言している私だから、もちろん強制も矯正もしなかった。
だから、「もし暗算で全部正解できるなら、それでいいんじゃない?」と言った。気がする。
それを真に受けた(いや、中学までは本当に暗算でもいいと思っているのだが)のか、 Nはすべての計算・方程式を暗算でやってのけた。
解が分数になる連立方程式までも! 
そして、県入試本番でも暗算のみで数学を解いたのだ!
ほんのちょっとだけ、個性的でしょう?

あと、Nくんは成績に対してほとんど欲がないみたいだった。
クソ努力してトップになるより、ソコソコの努力で平均のがいい、と言っていた。
その通り、成績はオール3前後をウロウロ。中3後期はさすがにちょっと勉強して、それでも内申は30/45
受験した高校の偏差値は50
まさに有言実行。嘘偽りのない性格のNくんでありました。

そう、Nには嘘とかごまかしとか、そういうものがなかった。
やりたくないものはやりたくない。やる必要があると思えばやる。
家でも気分が乗らなければ勉強しない。        
高校の課題には文句ばかり。
数学も苦手な分野には手を付けない。
結局、勉強するためには塾に来なければならなくて、ちょっとずつちょっとずつ、塾にいる時間を長くして、ちょっとずつちょっとずつ授業時間を増やして。
敵陣をちょっとずつ包囲するように、ちょっとずつ勉強時間を増やしてきた。

突然ですが、生徒からの私の評価。
1位「こわい」
2位「話しにくい」
である。
好意的な評価でも、「近所のおじさん」「ダイエーで日曜日に買い物してそう」
こんな評価だが、それにしても不満はある。
「話しにくい」はわかる。歳も離れすぎているしな。
「近所のおじさん」もわかる。コンビニに行くようなノリで出勤してるしな。
が、「こわい」は理解できない。
20年近く塾をやってきて、私が生徒に声を荒げたのは1度だけである。
つまり、世間一般で言う「こわい」に私がなるのは、時間にして数百十万分の一なのである。刹那ですよ。(20年間で1分だけ)
もちろん、手をあげたことは一度もない。
ひょっとして、
「高2の間に(英検)2級に受からないとMARCHには入れないよ」
とか、
「単語? 1週間で1000個くらい覚えられるよね?」
とか言うから「こわい」のか?
まあそれはいいとして、Nには一度だけ説教?をしたことがある。
MARCHに合格する能力があるのに、努力しないのはもったいない」
という内容だ。
いつも「勉強するもしないも本人の自由」と言っている私が、矛盾したことを言ったとは思わないでほしい。
Nの通う高校からは、ニッコマでもじゅうぶんすごい。
MARCHとなると、3年間で数名という快挙である。
私「可能性が無いなら言わない。お前が『ニッコマや明学でいい』と本気で思っているなら、それでいい。でも、ちょっとでも『MARCHに行けたらいいなあ』という思いがあるなら、挑戦する前からその可能性を捨てるのは、どうしてももったいないと思ってしまう。もちろん、努力しても届かないかもしれない。でも個人的には、お前に挑戦してほしいんだ。」

私は一方的にしゃべるのが嫌いで、そして話を聞くときに使うエネルギーの大きさも認識してるから、30秒以上連続してしゃべらないように気をつけている。
でも、その時は言った。
まあ、Nがどう感じたかはわからないが、その時からかな。毎日塾に来るようになった。

エピソードをもうひとつだけ。
数学の苦手分野の克服には、私も一役買ったと自負している。
それは数Aの「集合」と「場合の数」だ。
Kから、「Nは、どうしてもやらない分野がある。後回しならそれでもいいんだが、ぜんぜん克服するつもりがないみたいなんだよ。お前のせいだ。」と相談(非難)を受けた。
私はⅡBの受験指導ができないので、Nの数学は副Kが担当だった。
中学の時にNの数学は私が見ていたので、そのやり方が染みついているというのだ。
実際に授業をしてみたら、何のことはない、暗算癖のせいだとわかった。
場合分けとかを図示しないで、頭の中だけでやろうとしていたのだ。
王道を行く数学専攻の副Kにとってみれば、それはすなわち邪道。存在してはならないはずの解法なのであった。
私はもともと外道だし、邪道くらい何とも思っていないので、Nには中学入試の考え方を使ってセンター過去問を解く方法を授業で伝授した。(副K注;実際は、Nといっしょに問題を解いて、「できた?」とか言ってヘラヘラしていたただけです。)
ところが、なぜかそれがヒットしたようで、Nはたちまち私の数Aを超えていった。
あっ、という間だったなあ。

そう、あっという間だった。
Nさんご一家とは8年にもわたるおつきあいだったが、気づいたらいつの間にか、末っ子のNが高校卒業を迎えてしまった。
Nが卒業することは最初から決まっていたことなのに、時が経てば当然に迎えることなのに、何か納得できないような気がするのは私だけなのだろうか。
ヒラリひらりと勉強から身をかわしてきた少年が、県内でも最も平均レベルの高校から、青山学院大学に合格するという偉業を達成した。
「ウチの家族は学歴志向が無いんだよね~」なんて言っていたのに、最後の最後になって追い込んで、けっこうとんでもないことをやってのけた。
入塾時、中1の内申はオール3に満たなかった。
それから6年。成績なりの高校に入り、比較的のんびりと過ごした。
家族からも干渉されず、部活にもさほど熱中せず、趣味を謳歌した。
「地頭がよかったんでしょ」と人は言うかもしれない。
まあ、そうかもしれない(笑)
読書量(マンガの)も半端なかったし。
でも、MARCHに入るのに地頭なんて関係ない、って他の子も証明しているから。
中1からずっと通って、いろんな話をしたじゃないか。
Nはのらりくらりに見えて、実はいろいろ考えてたもんな。

うーん・・・、やはり8年となると思い出すことが多すぎて、とりとめがなくなる。
先日、お母さまからとてもあたたかいお言葉をいただいてしまって、その余韻もいまだ消えない。
で、Nに連絡したら、〝Delivery Status Notification (Failure)
・・・メアドかメール設定を変更しとるじゃないか!
「ガラケーでじゅうぶん」とか言ってたくせに。



2016年3月30日水曜日

祝! 大学合格! 2016


嬉しい

祝! 大学合格! その1

今年の高3が4名、浪人が1名の、5人が大学を受験した。
うち、3名がMARCHに合格。
これは、あくまでも塾の成績として嬉しい。
ウチの塾は個別だし、当然に入塾時に成績でお断りしていないので、生徒の高校の偏差値は決して高くない。
今年も、私立の進学校の生徒は1人だけで(偏差値61)、あとは偏差値54以下の高校だった。
それでいてこの成績は、すばらしい。
みんながんばったな。

そんなことを思っていたら、ここ4年間の合格実績と、出身高校の偏差値、それに通塾年数を考えるとともに、卒業生全員の顔を思い出していた。
全員、書きたいな。
許可をもらっていない子もいるけど。

とにかく今は、おめでとう!!



つづく