2018年11月26日月曜日

塾の日常②

ブログでは合格体験記のようなものも書いていて、もしかしたらみなさまには私の書く偏見や屁理屈よりもそちらのほうが役に立つような気もする。
ただ最近ではマーチだの早慶だのの過去問ばかり解いていて、ふと、ワンパターンだなあ、と思うことが増えた。
マーチだの早慶だのは、基本的には意欲的に勉強した子が合格するので、書いたとしても、まああれだけ勉強すれば受かるよね~くらいの合格体験記になってしまうよね~とか、解いた過去問の山を見ながら考えている。

毎日毎日必死に勉強しました。
最後まで諦めずに頑張りました。
めでたしめでたし。

うん。王道。
それでいい。
ただ、まあ、何て言うか、少なくとも私には文章の才能はないので、元ネタの面白さが欲しいんだよなあ。

そんなわけで昨年の受験生に、ちょっと面白いやつがいたのを思い出した。
同級生の紹介で入塾してきたのだが、入塾前にそいつの話がでたときに、同じ中学出身のやつらが、同級生だけでなく先輩や後輩までもが口を揃えて、「ヤバいやつだ、あいつはヤバい」と言っていたのだ。
あんまりヤバかったら入塾はお断りするか、〇力でねじ伏せなければなるまい、などと真剣に考えていたら、高3になったヤツはすっかり猫かハムスターかなんかの仮面をかぶっていたのか、ぜんぜんヤバくない。
どこがどういうふうにヤバかったんだ?
普通に礼儀正しく、普通に身のまわりのことが出来る、普通にコミュニケーションが取れるやつじゃないか。
勉強を始めれば、すいすい勉強する。
おまえ、〇陵だろ? そんなに勉強に慣れてないだろ?(スゲー失礼、)
少しは根を上げろよ、頭がパンクしそうとか愚痴を言えよ(ものスゲー失礼、)
などと思って生温かい目で眺めていたが、毎日毎日すいすいすいすい勉強している。
な? アス〇ルガーだろうがサイ〇パスだろうが、身の処し方は学習できるんだよ。
まあそいつがそうだと言っているわけではないがね。

結局そいつは第一志望の東海大学に進学したが、まあ、楽々合格だった。
水族館で働きたい、でも水産学部は基本理系、自分は数学ができない、という論理で数学のない東海大学に決めたという。
しかしなぜか、水産とはまったく関係のない成蹊大学も受けたいと言っていた。そして受験した。
理由は何度か聞いたが、私には理解できなかった。
思うに挑戦? チャレンジ? 的な気持ちだったのではないかと。
それで、実はそいつ、成蹊大学に補欠合格したのだ。
しかしなんだか英語で解答欄間違いかなんかの大ミスをやらかしたらしく、7~8点損したと言っていた。
それがなければ間違いなく合格していたし、それでなくても文部科学省の補助金減らすぞ~以前であれば合格していた。
たしかに、ウチからは舞岡→青山学院大学、南陵→國學院大學、深沢→明治大学などの実績があるからさほど驚かないが、それでも「ヤバいやつ」がするするするするするするっと成蹊にあと一歩まで迫ろうとは。

それにしてもそいつ、この前のブログの話とかぶるが、ぜんぜん感情を表に出さなかった。ヤバい行動も受け答えも一切、無かった。皆無。
もし同じ中学のやつらの話が本当なら、中学では本当に「ヤバいやつ」だったけれども、「ヤバいやつ」のまんまでは何かと損だから、きっと訓練したのだろうと思う。

何かを心に決めたんだろうな。

私にとってはしみじみと趣のある話なのだが、皆さまにとってはいかがなのかしら?



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2018年11月18日日曜日

塾の日常➀


おとなしい子

まあ今の子はおしなべてみなおとなしいが、それでも特におとなしい子はいる。
授業中も自習中もほとんど話さず、あいづちすら「いや」とか「まあ」とか、yesなのかnoなのかもはっきりしない。
まあ、そういう子の中にも実は学校ではっちゃけてるこもいたりするが、学校でもおとなしい子もいる。
まあ、そういう子の中にも実は家でははっちゃけてるこもいたりするが、家ですらおとなしい子もいる。
まあおとなしいと言ってもこのようにまちまちだが、それがいいとか悪いとかは、べつにない。
ただ、おとなしければ目立たず荒波に飲まれず生きて行ける一方、周囲から勘違いされやすく損することもあるのも事実だろう。
その最大の損が、おとなしいと周囲から「感情がない」と思われてしまうことだ。

「感情がない」と思われると、まず、いじめの対象になりやすい。
アス〇だのサイ〇パスだの言われることもある。
なぜそんなことになるのかというと、「感情がない」イコール「傷つかない」と周囲に思われてしまいがちなのだ。
けっしてそんなことはないのに。
おとなしい子や、無理しておとなしくしようとしている子は、この点には注意しよう。
ときには感情をきちんと表に出すことも必要だ。

話は少し逸れるが、私も感情をあまり表に出さないので、ア〇ペだのサイ〇パスだのと面と向かって言われる。
アス〇ルガーもサイ〇パスもべつに感情がないわけではなく、きちんと喜・怒・哀・楽のうち3つくらいは持っている。ちなみに私には「哀」がやや欠けている。
アス〇ルガーもサイ〇パスも、ほかにLDなども、あれは明確な閾値(しきいち=ここからがそうだ、というライン)があるわけでなく、おそらくグラデーションである。
つまりだ、病名など付いても付かなくても、人にはいろいろなタイプが考えられるということだ。
そんでアス〇ルガーもサイ〇パスも、他人の感情が読みにくいだけで、当人の感情が欠落しているわけではない。

話は急転直下するが、問題は、おとなしいかどうかではないのである。
以前にも“パリピとオタクと”でも書いたが、必要な時に適切なコミュニケーションがとれるかどうかが大事なのである。
積極的で外向的な子であっても、相手や場にそぐわない発言ばかり繰り返していれば信用を失う。
しかしおとなしい子であっても、必要な時に必要な発言ができれば、周囲から「しっかりしている」と評価される。

だから、自分の性格や考え方がどうであっても構わない。
いつも周囲に元気を振り撒こうと思っていても、できるだけ目立たないようにしようと思っていても構わない。
だた、場や周囲の状況に応じてどう振る舞うのがいいか?は、日々訓練するのがよい。
ときには失敗もあるだろう。でも、訓練しないでできるようにはならない。

私も日々訓練している。




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2018年11月11日日曜日

勉強の根底にあるもの⑤


ここまで、記憶力に個人差はあるのか?について意見を申し上げてきました。

そして前回、「記憶力にはたいした個人差はない」と書いてきましたが、実は短期記憶にも「7±2」という差がるんですね。
これは、短期記憶力が「5」の人も「9」の人もいることを暗に示しており、「5」と「9」では実に1.8倍もの差があります。
これは単位時間における差ですから、たとえば30分間勉強したときには、1分で5つ覚えられる人と9こ覚えられる人とでは、「150個」と「270個」という差になります。
「7±2」と聞くと差は小さく見えますが、実際に考えてみると倍近く違うのです。
ですから、1週間、1か月、1年、3年と経る間に、知識量の差は開いていきます。
私は、このことこそが、「記憶力の差」だと思っています。

こう考えると、記憶力には差があります。たしかに差はあります。
しかし、その差は、「繰り返し」によって埋めることが可能です。

記憶は 印象の強さ×繰り返しの回数 で決まる!

のです。

このお話の一番最初に、「全国高校生クイズ選手権」歴代優勝校のテロップを流しましたね。
偏差値のたっかい高い高校の中に、そうでもない高校があるのに気づかれた方はいらっしゃいませんか?
もう一度お見せしましょう。

(大画面テロップ)
1    山形県立山形南高校64
2    宮城県第一女子高校68
3    東京都立江戸川高校57
4    岐阜県立加納高校66
5    宮城県仙台第二高校71
6    私立東大寺学園高校77
7    山形県立山形東高校68
8    静岡県立静岡高校71
9    栃木県立宇都宮高校71
10  北海道札幌西高校71
11  福井県立高志高校65
12  茨城県立水戸第一高校71
13  私立ラ・サール高校(鹿児島)76
14  栃木県立石橋高校65
15  鳥取県立米子東高校68
16  愛媛県立西条高校57
17  青森県立弘前高校68
18  国立筑波大学附属駒場高校(東京)78
19  北海道札幌南高校71
20  三重県立川越高校64
21  山口県立宇部高校67
22  北海道旭川東高校66
23  私立栄光学園高校(神奈川)72
24  岐阜県立岐阜高校71
25  埼玉県立浦和高校72
26  埼玉県立浦和高校72
27  私立ラ・サール高校(鹿児島)76
28  私立東海高校(愛知)75
29  私立東大寺学園高校(奈良)77
30  私立開成高校(東京)78
31  私立開成高校(東京)78
32  私立開成高校(東京)78
33  私立慶應義塾高校(神奈川)75
34  京都府立洛北高校61
35  埼玉県立浦和高校72
36  私立灘高校(兵庫)79
37  私立桜丘高校(三重)42

ね?
偏差値50台や40台の高校が、ちらほらいるでしょう?
高校野球で言えば、県大会の1回戦2回戦3回戦くらいのレベルの高校です。
これらの高校が、全国大会常連高に勝っているんですよ。
それって、記憶力が遺伝や才能だけではないことを示しているのではないでしょうか?
私が思うに、外れてたら失礼だと思うんですけど、どんなスポーツでも、県大会2回戦敗退くらいの高校が、全国ベスト8常連くらいの高校に勝つのは、まず不可能だと思うんです。
でも、記憶力ならそうではない。
全国レベルの高校に、ごく普通の高校が勝てるんです。

そのためには、努力が必要です。
そしてなにより、興味も必要です。
いろいろなことに興味を持ち、繰り返し覚える。
それは、勉強に他なりません
テストの点を取るだけの勉強には、興味が欠けていますから、印象が薄くなります。
すると繰り返し繰り返し覚えなくてはならず、いつか嫌になります。
でも興味があれば、繰り返しは少なくて済みます。

いろいろなことに興味を持つこと。
テストに出なくても。
そのことと偏差値が大いに関係があると、そして今は偏差値が低くても、興味と努力で偏差値の高い相手を倒せると、「全国高校生クイズ選手権」の結果は示しているのです。

ご清聴ありがとうございました。

おわり


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2018年10月31日水曜日

勉強の根底にあるもの④


記憶力に個人差はあるのか?

ある!!
ってみなさん言いたいでしょう?
私も、あると思います。

その証拠をお見せしましょう。
フロリダ州立大学のケヴィン・ビーヴァーと彼の研究チームは、育児方法によって子どもの知能に違いがあるかを研究し、アメリカの中高生1万5000人を調査しました。
「親からどれだけの愛情を注がれたか」
「親と会話をする時間」
「どれだけ親と過ごしたか」
しかし、それらはいずれも、IQに何らの影響を及ぼさないことがわかりました。
つまり、IQは両親から受け継いだ、遺伝なのです。

パネルをご覧ください。







論理力や空間性知能は70%以上が遺伝であると、慶應義塾大学の安藤寿康教授が示しています。
もう、記憶力が悪いのは遺伝ということで決まり!
なのでしょうか?
「あたしバカだからわかんな~い」
が正しいことになります?


しかしところが、この事実は、先に述べた「記憶量は無限」と大きく矛盾することになりそうです。


IQは遺伝である」と「記憶量は無限である」は同居するのか?



このことを考察するには、IQと記憶力との関係がどのようなものなのかを知る必要がありますね。
一般に、IQを測定するためのテストには記憶力に関するものがありますから、相関関係はありそうです。
しかし、果たして「長期記憶」に関しては、IQで測れるのでしょうか?
結論から言えば、IQを測定するためのテストでは、長期記憶が測れるはずもありません。
だって、その場限りのテストですから。
IQを測定するためのテストでは、短期記憶のみを対象とせざるを得ません。
だって、1か月とか監禁してテストしないでしょう?
IQを測定するためのテストでは、長期記憶は測れないんです。

そこで、では、短期記憶と長期記憶の関係を考えましょう。

Wikipediaによると、記憶は

「感覚記憶」(1~2秒)→「短期記憶」(数秒~数十秒)→「長期記憶」という経路をたどるとされます。
「感覚記憶」は見たり聞いたりしたときに目や耳から入ってくる情報で、必要がないと判断された情報はすぐに捨てられ、必要だと判断された情報だけが「短期記憶」に送られます。
「短期記憶」をつかさどる領域で、「リハーサル」(覚えようと思って繰り返し念じたりすること)という行為を通じて「長期記憶」へ送られます。
「リハーサル」を行わなかったことがらは、人は忘れてしまうようです。
そしてこの「短期記憶」、人によって「7±2」の差しかないそうです。
どういうことかというと、意味のない数字や文字の羅列や、意味のない単語の羅列は、たとえ個人差はあっったとしても、数秒では誰もが5コ~9コしか覚えられないのです。
これを差と呼ぶべきでしょうか?
たとえ同じ人であっても、その時々の調子によって左右しかねない数字じゃありませんか?

ではなぜ、記憶力に差があるように感じるのでしょうか?

それは、「長期記憶」の種類と、「長期記憶」が行われる場所にあります。
「長期記憶」にも実はいろいろな種類がありますが、私たちが「記憶」と意識しているものは「エピソード記憶」と「意味記憶」です。
「エピソード記憶」は日常生活における記憶で、「意味記憶」は試験などのために覚える記憶です。
ふつう、「エピソード記憶」は記憶に残りやすく、「意味記憶」は記憶に残りにくいものです。
なぜでしょう?
これは、記憶が行われる脳の場所に秘密があると思われます。
長期記憶の保存場所は、誰でも「大脳新皮質」ですが、「短期記憶」から「長期記憶」への移行の際に「海馬」と呼ばれる場所を通過します。
その海馬には、すぐ隣に、感情をつかさどる部分があり、この感情をつかさどる部分が記憶に影響を与えていることが分かっています。
つまり、感情と一体化した「エピソード記憶」は長期記憶に残りやすく、感情を伴わない「意味記憶」は長期記憶に残りにくいのです。
そして感情を伴わない「意味記憶」を長期記憶に残すためには、繰り返し覚える必要があるのです。
このことは、私が旧「勉強法の真実ブログ」で提唱した、

記憶は 印象の強さ×繰り返しの回数 で決まる!

説を裏付ける、科学的根拠です。


つづく と思います。



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2018年10月23日火曜日

勉強の根底にあるもの③


勉強の根底にあるもの

それは早期教育でも規則正しい生活でもなく、ただただ、エネルギーにあると思われる。

シリーズ「勉強の根底にあるもの」
第三弾の今回は、雑学知識について、TD風に紹介します。


みなさん、「全国高校生クイズ選手権」ってご存知ですか?
これって、毎年夏に行われている、2018年で第38回にもなる、超人気テレビ番組なんです。
今年は、私の地元神奈川からは、我らが?横浜サイエンスフロンティアと聖光学院が出場しました。
録画予約をし損ねて、結果は知らないんですけどねww

さて話を「高校生ウルトラクイズ」に戻しましょう。
あ、正式には「全国高校生クイズ選手権」ですよ。
でも私の青春時代には、大人版の「アメリカ横断ウルトラクイズ」が人気を博していましてね、「全国高校生クイズ選手権」はそのスピンオフ的存在なんですよ。
とにかく内容がよく似ているんです。
スローガンも同じ。
だったかな?w
私の記憶に間違いがなければ、それは「知力・体力・時の運」です。
問題も難しい。
世界史や美術に関する問題なんか、私には1つもわかりませんw
ところが日本の優秀な高校生たちは、問題がぜんぶ読み上げられる前に解答し、さらに「体力」ゾーンにダッシュしていくんです。
それは大人版と同じ。痛快です。
大人版と違いがあるとすれば、大人版はアメリカ大陸を横断しながらニューヨークを目指すのに対し・・・ああ、ここで福留さんの「ニューヨークにいきたいかあ!?」を思い出しました・・・「高校生ウルトラクイズ」はアメリカ大陸そのものが目的地である点。
この点は、教育的見地からも予算からも納得できます。
また、大人版は個人で出場、高校生版は同じ高校の3人一組で、高校名で出場します。
このへんが甲子園っぽくて、慕情をそそりますな。

さ、「全国高校生クイズ選手権」についてみなさんにイメージを作っていただいたところで、その優勝校の名前をざっと、本当にさっとご覧ください。
テロップは長いですから、画面酔いしない程度に見てくださいねw

(大画面テロップ)
1    山形県立山形南高校64
2    宮城県第一女子高校68
3    東京都立江戸川高校57
4    岐阜県立加納高校66
5    宮城県仙台第二高校71
6    私立東大寺学園高校77
7    山形県立山形東高校68
8    静岡県立静岡高校71
9    栃木県立宇都宮高校71
10  北海道札幌西高校71
11  福井県立高志高校65
12  茨城県立水戸第一高校71
13  私立ラ・サール高校(鹿児島)76
14  栃木県立石橋高校65
15  鳥取県立米子東高校68
16  愛媛県立西条高校57
17  青森県立弘前高校68
18  国立筑波大学附属駒場高校(東京)78
19  北海道札幌南高校71
20  三重県立川越高校64
21  山口県立宇部高校67
22  北海道旭川東高校66
23  私立栄光学園高校(神奈川)72
24  岐阜県立岐阜高校71
25  埼玉県立浦和高校72
26  埼玉県立浦和高校72
27  私立ラ・サール高校(鹿児島)76
28  私立東海高校(愛知)75
29  私立東大寺学園高校(奈良)77
30  私立開成高校(東京)78
31  私立開成高校(東京)78
32  私立開成高校(東京)78
33  私立慶應義塾高校(神奈川)75
34  京都府立洛北高校61
35  埼玉県立浦和高校72
36  私立灘高校(兵庫)79
37  私立桜丘高校(三重)42

はい、横っちょに偏差値もつけてみました。
下衆ですねww

どうですか。この偏差値。
高いですねえ。
こんなに高い偏差値の高校生が何やってんだ! 勉強しろ!!
って言いたくなりません?
私も正直、そう思いますw

突然ですがみなさん、人間ひとりひとりに、勉強のキャパシティってあると思いますか?
ここでいう「勉強のキャパ」は、「もうこれ以上できない。もう覚えられない」という「量的」限界、と定義しましょう。

・・・あるような気がしますよねえ?w
「もう無理! 覚えらんない!!」
とか
「後ろの方覚えると、前の方忘れちゃってる!」
とか。
誰もが経験し、一度は弱音を吐いたことがあるセリフだと、私は思うんですが。
あと、英語の成績が上がったけど他が下がってトータルプラマイゼロ、とか。
こうなると、
「俺ってこのあたりが限界なんだなあ・・・」
なんて思ってしまいますよね。

ところが、医学はそれを許してはくれませんでした!
ミズーリ大学の認知心理学者であるネルソン・コーワン氏によれば、
「記憶はニューロン回路によるのであり、記憶の1つ1つが脳の一部を埋め尽くすようなものではない。ニューロンによるネットワークは理論上無限であり、つまり、理論上記憶は無限である。」
だそうです(超要約)。

ということは、つまり、覚えられないとは、単なる、

努力不足!

で決定ということ。(涙涙)

でも・・・
なんか納得できませんよね?
全国高校生クイズに出場するような子は、勉強もできれば雑学もよく知っているわけで。
それは「記憶力がいい」ってことでは?
つまり記憶力には個人差があって、その限界量にも個人差があるのでは?
って考える方が現実的だし実情に見合っていると思うのです。

そこで、次の疑問を調べてみましょう。

記憶力に個人差はあるのか?


つづく


2018年9月15日土曜日

勉強の根底にあるもの②


勉強の根底にあるもの。
それは早期教育でも規則正しい生活でもなく、ただただ、エネルギーにあると思われる。

シリーズ「勉強の根底にあるもの」
今回は第二弾。英語とエネルギーがどのような関係にあるのかを、んHK風に紹介します。


「英語が好き」
塾ではよく聞かれる言葉である。
それもそのはず、ベネッセ研究所の調査では、複数回答ではあるが中学生の4割弱、高校生の4割強が「好きな科目は英語」と答えている。
しかし塾関係者は、この言葉を真に受けてはいけない、と考えているようだ。
「真に受けて英語をゴリゴリやると生徒から嫌われる」(塾関係者)というw

「英語が好きと言いながら、センター試験で80%未満の得点しか取れないとは、いったいどういうことなのか? 私の『好き』という言葉の認識が間違っているのか?」
そう嘆くのは、小さな個人塾を営んで20年になるMだ。
「私はね、好きなもの、好きなことは毎日やっても飽きないし、強制されなくても積極的に取り組むし、好きなことは上達したいし、相手があることなら(英語は言語だから、使用する相手を想定するものでしょう?)なおさら相手と意気投合したいと思うのですよ。スポーツやゲームも同じでしょう? 相手とできるだけ同じレベルの方が楽しいんですよ。」

Mが言うには、英語は特殊な科目なのだそうだ。
まず、英語はコミュニケーションツールであって、学問ではないという。
そして、レベルが上がるほど、英語を使用する際には日本語を忘れなくてはならなくなる。
つまり、究極、それまで培ってきた、日本人としての環境で生活していた回路とは別の回路を脳に作り上げることを求められる科目なのだ。

(引用 http://biz.cyber-u.ac.jp/blog/1482/ 『語学ができる人の脳と考え方』より)
脳ミソの中で言語をつかさどっているのは「言語中枢」と呼ばれる箇所です。そこには「日本語言語野」と「英語言語野」といわれる部分があり、英語が得意な人は、英語言語野だけを使って考えて理解し、話し、聞いたりしています。「英語を英語で考える力」は、この英語言語野の働きによるもので、英語が得意な人ほど英語言語野が高性能になっています。
(引用終わり)

これを、数学と比べてみる。
(引用 https://www.president.co.jp/family/blog/online/347/ 『プレジデントオンライン』より)
算数の問題を解く際には、脳の複数の箇所を使います。(中略)
現在の研究では、算数や数学のいろいろな問題を解くときに、脳のどの箇所を使っている、と特定はされていません
(引用終わり)

数学以外では、たとえば国語や歴史は日本語を使用するため、日本語言語野を通じて処理されるので、英語とはまた別の回路を使っていると考えてかまわないだろう。
すると、英語の特殊性が浮き彫りになる。

脳に、今までなかった新しい回路を作り上げる・・・
これを楽しいと思える人が、いったいどれくらいいるのだろうか?
普通は、とくに初期は、とてもつらく苦しいのではないのだろうか?
でも半数弱(40%も!)が英語を好きなのである。


では、英語言語野を新たに脳内に作り出すためには、いったいどうすればいいのだろう?
前出のMによれば、

「毎日」

まずはそれだという。

「英語の勉強法に関しては、巷間本当にいろいろな、無数の方法がささやかれていますよね。でも、それらの最大公約数を拾うと、それは『毎日英語を勉強する』なんです。もちろん方法によってコスパも違うだろうし、時期の問題もある。だって、中学生に大学入試問題を押し付けても効果は薄いでしょう? 何を練習するのかにはクリティカルな時期があると思います。たとえば、中学生は何度も音読したり、例文を覚えて口頭で英作文する訓練が望ましいですし、高校生ならとにかく『正しい』英語を使い『正しく』読み取る訓練が絶対に必要です。英語はコミュニケーションツールなので、相手がある。間違った英語を使って平気でいるのは、相手にとって非常に失礼だと思うんですね。でもね、そのいずれを訓練するにせよ、英語は毎日やらなければ上達しない。いや、脳に新しい回路は作れない。そして、本当に好きでなくては毎日なんてできないし、逆に好きなら誰が制止してもやめないでしょう。」

・・・Mに熱がこもる。

「では毎日やるためには何が必要か。それはエネルギーに他なりません。英語が好きなら、上達したい。上達を証明する明らかな方法は、試験です。英語ができます、でもセンターでは平均以下です、では誰が認めてくれるでしょう? 自己満足ならかまわない。けれど何度も言うように、英語は相手があっての科目です。相手が、他人が認めてくれて初めて自信を持てます。好きなら、それを証明しましょう? そのために、地味な努力もしましょう? 好きなことなら、超基礎的な練習を何度もするでしょう? 英語もそれと同じです。」

・・・ちなみに、Mの言う英語の「超基礎的な練習」とは何なのかを尋ねてみた。

「英語界では超有名な鳥飼玖美子氏は、著書で文法の大切さを挙げていますね。『危うし! 小学校英語』では早期英語教育に強い懸念を示されています。
『外交官の「うな重方式」英語勉強法』の著者、多賀敏行さんも文法の大切さを説かれています。
『瞬間英作文』で有名な森沢洋介氏は、中学レベルからの英作文の積み上げを説いていますが、ホームページでは大学受験時の偏差値は大切だ、とおっしゃっています。
こう考えると、やっぱりしっかりとした基礎、その基礎とは中学生の英語から“大学受験に出る程度”の“基礎的な”文法や長文ではないでしょうか。
相手の言うことを間違えずに受け取ること。自分の意思や事実を間違えずに、失礼にならずに伝えること。それは中学英語から大学受験英語をきちんと毎日勉強すれば、かなり養えると思います。
私よりはるかに高い雲の上のレベルの人達が口を揃えて言っているのですから、まちがいないのではないでしょうか。
といっても、私もまだまだ間違えてばかりなんですが・・・」

・・・エネルギーの話は?




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2018年9月4日火曜日

勉強の根底にあるもの➀


勉強の根底にあるもの。
それは早期教育でも規則正しい生活でもなく、ただただ、内に秘めたエネルギーにあると思われる。

シリーズ「勉強の根底にあるもの」

第一弾の今回は、エネルギーの塊だったある少年の話を、んHK風に紹介します。


数年前、わりとどこにでもある県立高校から、慶應商学部と国際基督教大学に現役合格した男子がいた。
その子は塾に来るとき、階段を必ず駆け足で登ってきた。
授業の準備も早い。
とにかく1秒でも無駄にしないという姿勢が、日常生活からしてあった。
しゃべるのも早い。
1つの疑問が解決すると、矢継ぎ早に次の疑問を口にする。
人の真意を読み取ろうとするかのように、人の目をのぞき込んで教えを乞う。

かなり激しい運動部に、高3の秋まで在籍していた。
普通なら、それだけで勉強をしない理由になりそうだ。
しかし彼は、英語の勉強だけはしっかりやっていた。
名著「英文解釈教室」を読んでいたのだ。

大学受験において、英語のウエイトは非常に高いのは周知のとおりである。
英語さえ「超」大学受験レベルになっていれば、
慶應湘南藤沢(英語+小論文)
慶應商(英語+地歴+論文試験)
国際基督教(英語+現代文)
など、ちょっとプラスするだけで名だたる大学が受験できる。
彼は、これらの大学の受験にすべてを賭けていた。
だめなら浪人する、と。
実際、慶應に受かって立教は落ちた。

先日、彼とアシスタント講師2人を誘って飯を食いに行った。
将来は独立出来たらと言う彼と、同じく独立したいというアシスタントを引き合わせたかったからだ。
しかしまあ、ウチのアシスタントはまだ大学1年生。
一方の彼は、留学帰りの大学4年生。
・・・格が違いすぎて話にならなかった。
それでもアシスタントたちはものすごい感銘を受けたらしく、
「スゲー、あの人すげー」
と少ないボキャブラリーを披露していたという。

私的には、アシスタントたちは彼のエネルギーに打たれたのだと思っている。
内内にエネルギーを秘めた人間は、話せばそうだとわかるものだ。
そしてその逆の人も、話せばそうだとわかる。
そういうものじゃないでしょうか。

では、彼は人より多くのエネルギーを持って生まれたのか。
いや、生まれたときの生命エネルギーは、みんな似たようなものだろう(個人の感想です)。
それを、多くは環境が潰してしまう(個人の感想です)。
たまたま、多くの偶然のおかげで生まれたときの生命エネルギーを保ったまま成長した彼は、人の倍運動し英語のみ人の倍勉強して、たまたま慶應と国際基督教を目指した。

話はいきなり変わるが、環境のせいでたまたま生まれたときのエネルギーを失っていたとしても、環境や考え方を変えて少し時間をかければ、エネルギーは必ず取り戻せる(個人の感想です)。
内側から溢れ出るエネルギーさえあれば、少々の壁くらい軽く吹っ飛ばせる気がしないかい?

勉強時間がどうとか、やる気が・・・とか悩む前に、今自分の中にどれだけエネルギーがあるかどうか、どうしたらエネルギーを充填できるか、ちょっと見方を変えて考えてみたらどうかな?
自分のエネルギーを削ぐような周りの環境を、ひとつひとつ潰してみてはどうだろう。



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