さて、では備忘録的な。
早慶も難関国立もMARCHもニッコマも、英語の入り口は同じである。
単語を覚え、繰り返し文法問題を解く。
そして文法問題が秒速で解けるようになったころ、早慶と難関国立志望者は、英文解釈に入る。
ここで肝心なのは、難関大学志望者だ、という点である。ゴールとなるレベルではネイティブの思考回路で英語が読めないといけないので、ハナから目標に合わせた読み方を求める。
高校の授業のように和訳をするために読んでいたのでは、ネイティブと同じように考えることができない。そしてネイティブと同じように考えることができなければ、試験で時間が足りなくなる。
よって私はそのゴールを表現するために、“ネイティブ感覚”という言葉を使っている。私自身にネイティブ感覚があるかどうかは、内緒である。
伊藤和夫先生、鳥飼玖美子先生、大西泰斗先生の理論を理想として、森沢洋介先生の瞬間英作文の要素も盛り込みながら、英語を教えているというより、伝えているつもりだ。
そして、最初に申し上げた早慶とMARCHの間にある“壁”は、まさにそれ=ネイティブ感覚だったのである。
英文解釈の練習を重ねて、早慶の英語でも易しめ?のところ、例えば早稲田教育や慶應商のレベルで6割くらい取れるようになったころ、この“壁”が受験生の前に立ちはだかる。
6割は取れるが7割が取れない。7割は取れるようになったが8割が取れない、そして目標とする9割が取れない、といった具合になるのである。
一番の原因は何といってもスピードだ。なぜならスピードさえついてくれば考える時間も増え、英文を2回3回と読み直すこともできるからだ。
ではそのスピードをどのようにつけるのかといえば、それはその子の個性によって異なってしまう。
例えば、
純粋に読むスピードの問題、つまり慣れなのか、
話題に乏しいために読み取りに時間がかかってしまうのか、
もしくはその複合なのか、
などである。
こればかりは、私は本人ではないので、わからない。
よって、試行錯誤となる。
つまり、手あたり次第やってみて、自分に合う方法を見つけるしかないのである。
次に、手段の問題がある。
慣れるためにはいったい何をすればいいのか。
話題を豊富にするためにはいったい何をすればいいのか。
これも試行錯誤である。
長文の音読、テーマ別長文読解、ALLINONE、何でもやろう。
一度出会った長文は、体に染み込むまで音読しよう。
たった一つの冠詞をもスルーしないで解釈しよう。
natural speedを体で覚えよう。
英語を心で感じよう。
そういう日々の積み重ねが始まる。
だが、それを続けたからといって、いつできるようになるかは誰にもわからない。
いや、それを続けたからといって、一生できるようにはならないかもしれない。
そういうの、“修行”と呼んでよくないか?
早慶の英語で8割も9割も取る受験生の日々とは、地味で単調な訓練を、来る日も来る日も続けて、雨に日にも風の日にも休まず続けて、それでも悟りが開けるかどうかはわからない、という修行の日々なのである。
Fの日々とは、そんな修行の日々だったのである。
帰国子女で英検1級保持者が7割しかとれないという早稲田社学の英語で、瞳に深いものを湛えた元・俗物の、今も俗物だが、そのときだけ聖人になっていたFは、きっちり7割を取って合格した。
オカルトかもしれない。気のせいかもしれない。それならそれでいい。
でも、Fだけではない。
過去に早慶に合格した子の多くが湛えていた、修行僧のような深い瞳の色は、“壁”を破った者だけが持つ色なのかもしれないと、私は本気で思っている。
もちろん、受験科目は英語だけではない。
英語がイマイチ好きになれなかったら、他の科目で取ればいい。それでぜんぜんいい。
事実、今年は数学を武器にして慶應商・横浜国大にダブル合格した子がいる。
だがいずれにしろ、早慶レベルで英語や数学を“武器”にしようと思ったら、決して甘くない、楽じゃないということだけは、それだけはわかってほしい。わかってください。
まあ、そんなだったFだが、2月、上智に合格したあたりでほっとしたのか、煩悩が瞳を曇らせ始めた。
「上智のポルトガル語と経営で、〇〇が〇〇〇〇のはどっちですか? 〇〇〇〇〇〇」
とか言っていたのでヤバいかな?と思っていたのだが、なんとか受験校を全勝で逃げ切った。あぶねえ。
・・・Fが受験した早稲田社学の古文で、方丈記が出題された。実はそれ、教室で読んでいた“マンガで読む方丈記”にそっくり出ていて、Fは話を覚えていたらしい。
Fの早稲田社学合格が、そのせいでないことを、英語の力で受かったことを、心から願う。
(おしまい)
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