“慶應商VS早稲田社学” が急上昇キーワードになったらしいですな。
なんでも早稲田社学が超難化し、政治経済学部と並ぶ早稲田の看板学部になったとかならないとか。
早稲田の社学の英語は、帰国子女の英検1級保持者でも7割しか取れなかったとか。
会話文では選択肢がどれも同じに見え、取捨選択する根拠が見当たらない。
長文では下線部の単語がわからない上、選択肢の単語も一つしかわからないので推測すらできない。
おかげで巷では、“社学の英語は運ゲー”と言われる始末である。
それに比べれば、慶應の英語はとても優しい(易しい、ではない)。
実力がちゃんと結果に表れる。
一年前の話になるが、その早稲田社学と慶應商に、両方とも合格した子がいた。
仮に、彼をFと呼ぼう。あのYと同級である。
たしかに、Fはどちらに行こうかとずいぶん迷っていた。
通学が楽なのは慶應、興味のある科目があるのは早稲田だと言っていた。
「知るか。自分で決めろ。」
私はあくまでもFの自主性を重んじ、心を鬼にして、わざわざ相談しに来たFにそれだけを言った。決して面倒くさかったわけではない。決して。
そのFは、今まで書いてきたような壁を破った一人なのであるが、
超進学校の生徒でもなく、
中学受験をしたわけでもなく、
英才教育を受けていたわけでもなく、
ガリ勉をしていたわけでもなく、
決してそんなに真面目でもなく、
特別に親切で心が広いとかいうわけでもなく、
モテモテでもなく、
話が上手いわけでもなく、
熱血でもなく、
早慶合格者は年に数人という高校に通う、
とにかくまあ、普通の、いや、経験値という点ではむしろ普通より低い子だったわけですよ。
実際、Fとは話せば話すほどにthe
cultural divide(=???みたいないこと)を感じたのであります。
だって、好きなアニメがおさるのジョー〇って、???じゃないですか?
そうでもないですか? 普通ですか?
そんなFだったが、入試直前の1月頃のFの目は、まるで修行僧のような深い緑色をしていた。
「先生、僕はすべてを悟りました。」
入試の前日、Fはそう私に言った。
ええ、嘘です。言ってません。
でも、慶應や早稲田に合格する子は、秋から直前期にかけて、修行僧のような瞳になる。
あの子も、あの子もそうだった。
やり切った感なのか、はたまたある種の悟りなのか。
レベルは違いすぎるが、イチローとか松井秀喜とか、ああいう人たちの目にそっくりなのですよ。
達人(感)なのかなあ。
まあ、みんな今ではすっかりただの人ですけどね。
ともあれ、Fが壁を破った過程を書いておくことは、私自身の備忘録にもなると思う。なんせ齢なので。
(つづく)
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