2015年9月27日日曜日

座談会 大学受験の成功と失敗

“勉強法の真実”シリーズ初の座談会です。
MJと副室Kが普段、どんなことを思い、どんなことを話しているか、その一端をお聞き
ください。
きれいごとではなく、“真実”に迫る話をしたいと思います。
チャートつきです(笑)

MJ「この前の記事では、“卒業生特集”のつもりが、いつのまにか“偏差値50の高校から”に半分すり替わってしまった。悪い癖だ」
副K「うん。そう言っていつも反省しないね(笑)。でも、“偏差値50の高校”の生徒が一番多いし、成功例も多いから」
 (チャート:人口比では、おおむね偏差値50が最大多数となります。)
MJ「そういえば、“偏差値50の高校”の生徒で“失敗”した子って、いままでいた?」
副K「うーん…、何をもって“成功”“失敗”っていうのかが難しいけど」
MJ「たとえば、レベルアップすれば成功、レベルダウンしたら失敗、とか」
副K「でも、卒業生の晴れ晴れとした顔や、それこそ“卒業生特集”に登場したみたいな、レベルダウンをしても生き生きとしている子もいるでしょう」
MJ「たしかに。本人が納得しているというか、力を出し切った感や、好きな道を見つけた感があれば、成功といえるのかもしれないな」
副K「そういう意味でいえば、ほとんどの子が成功だよね」
MJ「レベルダウンをしても、それが本人の努力の結果であり、しぶしぶ進学するんじゃなくて、好きな道だったり、納得のできる、胸を張れる進路であれば、“成功”って言っていいよ」
副K「高1からテスト前だけは頑張って、推薦を取った子だって、“成功”でしょう。だって、頑張ったんだから」
MJ「…逆に、失敗した子っているのか?」
副K「…ぱっと思い浮かぶのは……2人だねえ」
MJ「たしかに。昔のことをすべてさらってみれば、あくまでも受験結果自体が“失敗”と言えるのは、2人だ。10何年やっていて、2人。あくまでも“偏差値50の高校”から“失敗”したのは2人だけ。けっこう卒業生はいるのに」
副K「でもその2人も、メールくれたりするし、元気にしているよ。生き生きしてるよ」
MJ「1人はしょっちゅう顔見てるしな…」
副K「それは…シ~っ!」
 (チャート:その“1人”を深く追求しないでください…マジで今、頑張っているから。変わろうとしているから。)
MJ「たしかにその2人は、レベルダウンをしている。そして、受験直前の悲壮感というか、“もうだめだ感”が半端なかったな。覚えるより忘れるスピードのが速いんだもの。」
副K「やる気とか精神的パワーの問題だよねー。もう、本人があきらめちゃっているっていうか」
MJ「しょっちゅう顔を見る卒業生は、一応、あきらめてはいなかったかな。一つ目に合格して、もういいや、ってなっちゃった感はあるけど」
副K「もう1人の子だね。受験直前に見てらんなかったのは。だいぶ昔の話だけど」
MJ「親や友達や異性関係にも悩んでたみたいだったね。何もあの時期に…って感じだった」
副K「でも、納得して入学して、それなりに楽しそうだったじゃない」
MJ「有名大学だったからね。キャンパスもデカいし、人も多い。気が合う友だちは必ずできるもんだよ。もともと目指していたところが高すぎたのかもしれない。妥当な結果だったのかも」
副K「ぜんぜん失敗じゃないじゃん(笑)」

MJ「こう考えると、“偏差値50の高校”の生徒に“失敗”っていないねえ」
副K「恐いことだけど、むしろ失敗は“偏差値60の高校”の生徒に多いんだ。“失敗”とは言えないけど、思ったようにいかなかった子」
MJ「たしかに。そして“偏差値65以上の高校”の生徒になると、ほとんど“失敗”しない」
副K「“偏差値60の高校”の生徒が、いちばん危ないんだよ…」
(チャート:“偏差値60の高校”とは、中学時の成績がおおむねオール4くらいで入る高校のことである。進学する大学として最も普通なのは、ズバリ“日東駒専”。MARCHならがんばったと言える。だから“偏差値60の高校”での失敗とは、“日東駒専”レベルの大学に合格したくてもできなかった場合をいう。)
MJ「そう。“偏差値60の高校”には、無気力な子が一定数いる」
副K「結局、受験って気力だもんね」
MJ「うん。まったくその通り」
副K「あと、高校に入ってから変わらなかった子」
MJ「うん。中学時代や高校受験で“そこそこできた”から、その栄光をひきずってるの」
副K「“過去の栄光”なんかに縛られていたら、変われないじゃん。変化できないじゃん。県立トップ校や難関私立の子だって中学時代からの勉強に対する考え方を脱却しなければ早慶レベルはキツいんだから、まして“偏差値60の高校”ならなおさらだよね」
MJ「うん。人が変わるくらいじゃないと」
副K「ところが、“偏差値60の高校”の子って頑固な子が多くてねえ。人の言うことをなかなか素直に受け取れない。言うこと聞かないんだよねえ。あるいは、変化する気力がないの。疲れた人みたいに。」
MJ「うん。逆に言えば、そうだから中学でオール4止まりになってしまう。真面目に勉強しているのに、なかなか5が取れない。新しい考え方とか知識とかを、『面白い!!』ってならない。こう、突っ込んでくる感じがない。やっぱり、気力かね」
副K「本能的な興味とかが薄い。ひょっとしたら抑圧すらされている。『勉強してればいい』みたいな。無理やり勉強させられてるみたいな。勉強していて、ちょっとでも喜びが見いだせなければ、その上は難しいよ」
MJ「大学受験って、ものごとに対する興味や、勉強することの喜びが少しでもなければきついよね。特に文系科目はそう。紙の上、机の上だけでの勉強では、上位大学の問題は読めないし、読むのが苦痛になるはず」
副K「“偏差値60の高校”には、そういう子がいるね。だからこそ変わらなきゃいけないのに、プライドや考え方が邪魔をして変化できない。そういう、何の役にも立たないプライドなんか、ぜーんぶ捨ててしまえばいいのに」
MJ「“偏差値60の高校”から横市やICUMARCHに合格した子は、馬力があったね。気力も充実してた。成功した子もたくさんいる」
副K「結局、“気力”だよ! “プライドを捨てるぞ!”って決心することも気力のうちだ」


副K「“偏差値50の高校”の子にも無気力な子はいるけど、“偏差値60の高校”の子に比べて変なプライドがないじゃん。自分はバカだと思っているから、私らの言うことを素直に聞く。バカまじめ」
MJ「それで、ちょっとできるようになったりするとすごく喜ぶ。勉強に対する喜びを持てるよね。」
副K「あと、勝手に進路を見つける子が、“偏差値50の高校”の生徒に多いね」
MJ「そうだねー。何かに縛られていないというか、親御さんも過度な期待はしていない場合が多いし」
副K「いや、期待をしている場合もあるんだけど、その期待も“…たらいいな”に近くて、受験直前になるとがぜん現実的になる」
MJ「子どもの方が親御さんの意向を打ち破ることも多いし、親御さんを説得しきることも多いよ。親御さんも子どもの進路選択に納得しているし、結果にも納得している、っていうかホッとしてる」
副K「そりゃあ、子どもが自分で将来の選択をしたんだもの。普通は喜ぶよ。本心は別にあったとしても、あからさまにがっかりしてたんじゃあ子どもがかわいそうだ」
MJ「結局、自分で選択してその通りに実現させる、っていう気力が大事なんだよね」
副K「そう。まったくその通り。進路の結果じゃなくて、“自力”で“選択”して“実現”させる、っていう過程は、見ていてやっぱり嬉しい。だってそれが“成長”だもん。1年前までは“だりぃ”“うぜぇ”しか言わなかった子や、部活やバイトばっかりで勉強なんてまったく興味のなかった子が、『オレ、大学行こうと思うんだよね』とか、『○○になりたいから専門行きたいんだけど』なんて言い出して、勝手に塾と話をしてくるんだから、そりゃ頼もしいよ」
MJ「それに“日東駒専”に合格すれば万歳!なので、その上となるとさらに“成功した感”が高まる」
副K「いたよねえ。“偏差値50の高校”から明治、青山、成蹊、明学…に受かった子。一般でも推薦でも…いたねぇ」
MJ「ブログの記事にも書いたけど、“偏差値50の高校”の進学実績データを見るとほんとに少数だもんな、そのレベルは」
副K「それに、高1から定期テストを頑張って、好きな大学や専門学校に進学できた子もいいね」
MJ「うん。だって高1から大学を見据えて頑張ったんだもんな。えらいよ」
副K「去年はこのレベル(“偏差値50の高校”)から公立大学に合格したね。立派だよ」
MJ「推薦の子も立派だよ」
副K「もちろん」


MJ「では、最後に“偏差値65以上の高校”について語って終わりにしましょう」
副K「ぶっちゃけ、このレベルの子たちはあまり心配ないね。頑固な子にはオラオラできるし、必要と思えば予備校に行くし。」
MJ「意思そのものは強い子が多くて、無気力な子はまずいないから、気力の意味では安心。問題はプライドだけだね」
副K「根拠のないプライドは困るけど、“頑張れば、自分にはできる”というプライドは持ったままがいいね」
MJ「このレベルの子って、例えば早慶とか国立とか、それに準じるレベルの大学じゃないと“格落ち”感があるから、必死で勉強するよねえ」
副K「ああ、あるねえ、“格落ち”したくない感。むしろ、それがすべてというか」
MJ「すべてだね。いろいろもっともらしい理由をつけたとしても、結局は今のプライドを保ちたいんだよ」
副K「そのプライドを保つために、1年間だけプライドをすべて捨ててバカになる」
MJ「そう、納得すれば、という条件付きだけど、彼らは何でもやるよね。たとえ徹夜してでも必ず遂行する。丸暗記する必要があればつべこべ言わずに暗記するし、まねをしろと言えば完コピする」
副K「完コピ…よく知ってるね。使い方は正しいのだろうか…」
MJ「オレ様はこう見えても音楽好きなのだよ。絶対音感を持っている」
副K「へぇ…嘘くせっ!」
 (チャート:このように座談会はしばしば脱線しましたが、なるべく省略してまいりました)
副K「彼らも、楽々合格したわけじゃないよね」
MJ「うん。前々から言ってるけど、奴らの努力は泥臭い。決してスマートじゃない」
副K「それから、やる前に『え~』とか言わない。やってみてから文句を言う」
MJ「とにかく、時間当たりの作業量が多い。エネルギー出力が大きい。短時間に目いっぱい頭を使うことができる。だからすぐ疲れちゃうんだけど、休憩してまた頑張る」
副K「だらだら勉強しないんだよね。勉強するときに、今、何のためにそれをやっているかがわかっているし、それをやればいつ頃までにどのくらい伸びるかを予測しながらやっている」
MJ「だから、決して“頭がいい”わけじゃないの。スポーツで言えば、筋肉が太いのと同じ。運動神経がいいわけじゃない。」
副K「そう。瞬発力があるんだよね。雑巾を絞るように脳みそを絞っている」
MJ「だから、頭がよくなりたいと思う人は、または子どもの頭をよくさせたいと思っている親御さんは、ドリルを繰り返すのではなく、大学受験のときにギュウ~っと絞れる脳みそを作ることを心がけるとよいです。瞬発力のある筋力を鍛えるのと同じ。何時間もぶっ続けで勉強させるのはよくない。興味を引き起こさせるのも大事。興味のある物を探して、それを与えること。禁止事項を少なくすること」
副K「話は戻るけど、“偏差値60の高校”の子って、“ドリルを長時間やる”子が多いね。子どもその方が楽だから、そういう勉強を選んじゃう」
MJ「そう。よく3時間も4時間もぶっ続けで机に向かっていられるな、と思うよね。オレなんか30分で疲れちゃうよ。少なくとも1時間に10分は休憩しないと脳みそがもたない。思考力も暗記力もなくなっちゃう」
副K「学校の宿題もドリルだしね。思考型や調べもの型の宿題とどちらがいいか選ばせればいいのに。ドリルこそが勉強だ、みたいに思っちゃうと、勉強って楽しくないだろうと思う。」
MJ「せめてワークだよねぇ。ワークなら暗記型も思考型もあるし」
副K「成績ややる気によって選択できる宿題がいいね。でも学校の先生にそれを要求するのは酷だよなあ」
MJ「だからこそ塾があるんです」

MJ「ほんと、これで最後にするけど、ぶっちゃけ、具体的な名前で言っちゃうけど、“市立金沢”や“北陵”は“偏差値60の高校” なのか、“偏差値65以上の高校”なのか、どっちだろう?」
副K「すごいびみょうだねえ…ボーダーラインだねえ…」
MJ「うん。“市金”“北陵”の子、君たちは“偏差値65以上の高校”の泥臭さと必死さを持つように心がけ、変なプライドは捨てて、バカになって素直に勉強をしなさい」
 (チャート:“変なプライド”などと言葉を濁しておりますが、実際の座談会では“ゴミみたいなプライド”と言っていました。ああ、バラしちゃったら意味ないじゃん…)
副K「さて、まとめましょう。」
MJ「結局、一番大事なのは気力だ、ということ。小中学生のときには、気力を失わせないように、いざというときに気力を振り絞れるような考え方や行動をしてほしい」
副K「あとは、ゴミみたいなプライドを捨てること。トップ校の生徒でさえ、部活を引退して初めて受ける模試では偏差値40台って決まってんの!」
MJ「そう。よく、“偏差値40から早慶へ”なんてキャッチコピーあるけど、まともに勉強していなければ、最初はみんな偏差値40なの。当たり前のことで威張らないでほしい。気力さえあれば偏差値の102030、上がるに決まっているんだから」
副K「そしてトップ校以外の高校生は、最初の模試では偏差値20台、30台なんてザラ。プライドなんか全部捨てなさい。アンタたちは、大学受験の世界では遥か後方からのスタートなの」
MJ「トップ校の生徒もそうでない生徒も同じ。プライドを捨て、泥臭く、気力を振り絞り、変わりなさい。」
副K「プライドを捨てて、泥臭く、気力を振り絞れば、必ず何かが変わるよ。“未来は、思った通りになる。”が私の信条。っていうか、真実です」
MJ「さて、まだまだ言いたいことはたくさんありますが、今回はこれで終了します。また機会があれば座談会を開催し、記録したいと思います。内容について、もしご気分を悪くされた方がいらっしゃいましたら、何卒ご容赦ください。他意はありませんし、例外もたくさんあることは存じております。むしろ、こうなってほしい、という願いを込めています」


MJ・副K「それでは、失礼いたします<m(__)m>


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2015年9月23日水曜日

卒業生特集④

私のとても悪い癖で、“卒業生特集”と言いながらも私見ばかりを申し上げてしまいました。
そこで、最近訪ねてくれた“卒業生”たちがどのような生活を歩んでいるか、一部公開させていただきたいと思います。
頑張っているのは春名賢人だけじゃないよ。

まずは現在アシスタント講師のH。
このブログでも紹介した、“偏差値50の高校”のクラスビリから、なんとかかんとか大学に受かった子である。
彼女は学校、バイト、自動車学校に加え、何とかというNPOで活動しているらしい。
たいへん忙しいらしく、この間なんか彼女が教室に出勤してくるなり、私は「ボロボロだな」と言ってしまった。面と向かって。相手、女子なのに。
だって、髪はボサボサ、手には包帯、口は半開きなんだもの。
でも、いいんじゃないか。
表面ばかり飾って努力しないより、ボロボロになりながら限界まで努力する姿って、とても美しいと思う。
彼女も3年生。このままなら、後悔しない将来をきっと選ぶだろう。
そして、とても美しい女性になるだろうと思うかもしれない可能性がなくはないのではないだろうか。

そして、Hと同級のA。
彼女もこのブログで紹介させていただいた、“偏差値50の高校”から躍進した子である。
彼女はときどき、ヘルプでアシスタントに来てくれる。
音楽が得意なので、テスト前の中学生に頼られている。
先日も来てくれた。
なんと彼女、横浜市が推進する何かに合格したというのだ。
試験は小論文と面接という、彼女の得意分野。というより、受験を通じて得意になった分野だ。
教員を目指す彼女は、受験勉強が今に役立っていると意気盛んであった。
それで後輩を叱咤激励していた。まさにOB(OG)の役目だ。
いろいろ悩んだ時期もあったようだけど、吹っ切れたAはとても魅力的なような気がしないわけでもないという意見もあるだろう。

3人目は、現在慶応大学商学部の2年生、Nだ。
彼はICUにも合格していて、ICUに進学するか、それとも慶応にするかで悩んでいた。
本当は英語を勉強したいからICUに行きたかったらしいが、周囲に相談し慶応に進学した。
たしかに慶応でも英語は勉強できるし、英語以外のことも学べる。
そのとおり、慶応進学後も英語への情熱は衰えず、新しくできた英語の検定にチャレンジするからと、つい先日に訪ねてくれた。
彼はアドバイスを求めてきたのだが、すでに私と同等かそれ以上の能力を持っていたので、雑談で終わってしまった。Alas
私としては楽しかったし、教え子の成長を見ることができて有意義だったが、彼にとっては・・・?
また、Nは港南台の一員であるから、知った後輩を見つけて励ましてくれたりした。
ありがたいことである。
この8月には留学もするらしく、将来が楽しみな若者である。

さらに、GWには6年も前の卒業生、Tがひょっこり訪ねてくれた。
「大学を卒業しました。就職も決まり、これからは獣医として働きます。」
あまりに立派になりすぎて、最初は誰だかわからなかったほどである。
思い出は走馬灯のようにgo roundだし、6年も前の卒業生が就職の報告に来てくれたこと、そしてあまりに立派になっていたことに驚いたり感動したり忙しくて、うまい言葉は何も出てこなかった。
聞けば、住所はもう就職先の近くだそうで、港南台とはかなり離れている。
帰省した折だからだとは思うが、また彼にとってひとつのけじめだったのかもしれないが、それにしても塾に行こうと思ってくれただけで嬉しいし、なにより立派すぎる態度、それは獣医という職業だからではなく、彼から発する自信と謙虚さが同居した雰囲気に、私は見とれてしまった。
彼は悩み多き高校生で、中学受験で燃え尽きてしまったことをそのころから自覚していた。
いつか本気になろう、なろうとして、やっと“気”が満ち足りて、それからやっと自分の希望する学部に立ち向かうことができたのだろう。
苦しんだんだろうなあ。
わざわざ、貴重な自由時間を割いてまで、役に立ったかどうかもわからない私の塾にまで顔を出してくれたことが嬉しい。
歳はうんと下だが、尊敬すべき人物だった。


つづくと思います。


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2015年9月8日火曜日

卒業生特集③ 偏差値50の高校から



養老孟司の「バカの壁」が流行った。
この本のとおり、変化を受け入れたくない人が存在することは、塾をやっていればよーくわかる。
彼らは変化に富んだ将来よりも、安定して変化のない将来を好むようだ。
それは“今”の世界が心地よく、そこから出たくないことの現れでもあるだろう。
脳の中に「壁」がある人は、新しい知識や考え方を無意識に拒む。または言われたり読んだりしたことを、無意識に、自分の都合のいいように変換してしまう傾向がある。
つまり、自分の知らない世界や、自分の“常識”と異なる世界をシャットアウトしてしまうのだ。
そういう人たちは、“変化”することが嫌いなのだろう。
現状に満足し、つらい努力をしてまで現状を変えたくない、と無意識に思っているか。
または、周囲から抑圧されていたりして、変化するための努力をあきらめてしまっている場合もあるようだ。

そのように変化のない将来を好む人が、自分の所属する高校の偏差値より上の大学に入ろうと思う場合、矛盾が生じてしまう。
だって、偏差値を上げるには変化が必要なのに、変化を好まない、もしくは無意識で拒むのだもの。
とくに多いのは、「安定した職業に就きたいから」という「安定ガ」と、
「いい大学に入らないと就職に困る」という「就職ガー」である。
「安定ガー」や「就職ガー」たちは、変化を好まないからこそ「安定ガー」「就職ガー」なのである。
すると、「安定ガー」「就職ガー」という動機では、変われない。すなわち合格できない。
なんという矛盾だろう!

このことは、実は偏差値50の高校生だけに限らない。
進学校にも言えることで、たとえトップ校にいても、成長しなければ受験は失敗する。
しかし、勉強があまり得意ではない偏差値50の高校の生徒であるならば、なおのこと「変化」しなければステップアップできないのである。

変化するためには、受験の動機は不純なほうがいい。
「モテたいから」「格好いいから」「テンション上がるから」「遊びたいから」などで結構。
人間、原始的な欲求ほど強いのだし、受験は気力と体力だから、気力がわき上がる動機がいい。
本気で将来のことを考えている人は別にして、周りからの言われただけの「安定ガー」や「就職ガー」で、強い気力がわくか? 無理だろ?
将来なんか、高3で無理に決めなくていい。
大学入って、遊びたいんだろ? モテたいんだろ?
正直になろうよ。
大学のキャンパスを歩いている自分の姿を想像しよう。
そしてその姿に自分でシビレルことで、「勉強したくない」気持ちに打ち勝ち、変化し、現状を打破するのだ。
そこに、“変化”の源がある。
そしてそのことこそ、就職やその後の人生での強みとなる。


つづく


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