2012年8月6日月曜日

勉強法の常識を疑うその1


ここまでずっと観念的な記事が多かったため、反省はしていた。
私の意見などより、もっと有益な情報をお伝えできないかと、考えてはいた。
考えていたのにできなかったのは私がまだまだ未熟な証で、高3生に対しエラソーに説教する資格もないのかもしれないが、高3生は今が旬なのでタタいている。

「常識を疑う」というタイトルであるが、実はこれにも良し悪しがあると思う。
私は高校生のとき、高校が基本的に単位制であることに気づき(単位制高校ではない。当時は単位制高校なるものは存在しなかった)、単位さえ取れば卒業できることを突き止めた。
そして単位を取るためには、授業の3分の2以上に出席し、5段階で「2」以上を取りさえすればよいということを知ってしまった。
さらに細目を調べれば、ホームルームには単位はなく、よって出席義務がないこと。「ナントカ式」「ナントカ祭」「クラス対抗ナントカ大会」にも出席義務も単位も存在しないことを知ってしまった。
さらに、謹慎は通知表に載らない=大学受験に影響はないことや、停学は通知表には記載されるが、一般受験ではほとんど考慮されないことも知ってしまった。知ってしまった。
さらにさらに、青少年保護条例や刑法や刑事訴訟法なども調べ(ネットがなかったから本屋で立ち読み)、法の穴を知ってしまった。知ってしまったのだ。
私は「真実」を知ってしまったために、世間様や先生様や同級生たちに後ろ指を指されるような高校生活を送る羽目になってしまったのである・・・
世の中には知らないほうがよい「真実」もあるということだ。
さらに私は大学生のとき(副室K注:いいかげんにせぇよ・・・)

・・・今回は有益な、というよりも第一に知っていていただきたい「真実」をお話しするつもりである。
旧勉強法の真実を通じて、大学受験に際してはどのように勉強するべきか、どのような心構えが必要かを、客観的事実(合格体験記など)を交え、論理的に述べてきたつもりだ。
今回は、そのまとめとも言える内容にしたいと考えている。
話がそれてしまったら副室Kにチェックを入れてもらえばいいや♪

さて、私はよく女子高生から「昭和」と揶揄されている。
(副室K注:オイ!!!)

・・・さてさて、受験界で言われている常識 ―または常識すぎて常識とも意識されなくなっている既成事実― には、私にとって「ケッ」と思うものもあれば、思わず耳をふさぎたくなるものもある。例を挙げれば次のようなものだ。
・(英語)文法ができれば長文が読める。長文が読めないのは文法ができないからだ。
・(現代文)内容を読み取れなければ問いが解けない。まず内容。
・(数学)センスが必要。
・(数学)この問題はこうやって解く=解き方の暗記。
まだまだあるだろうが、詳しくは各科目ごとに書くとしよう。

知らないほうがよい真実もあるだろうが、このブログは勉強法の「真実」であって、勉強法の「常識」ではない。
ニュートンの力学が宇宙全体や微小世界には通用しなかったように、常識と真実とは異なることがある。まずその点をお考えいただきたい。
常識は多数意見であろう。いや、多数意見が常識となるのか。
民主主義ならそれでよいのであるが、科学界や受験界においてはそうはいかない。
受験界では偏差値50に近いほど多数派だ。
偏差値の人数分布はほぼひし形◆だと思っていただいてよい。
偏差値50が最大多数で、そこから離れるほど人数が減ってゆく。
よって高い偏差値の人間の発言はごく少数の意見となり、有名な予備校の講師やマスコミに頻出する人物の意見こそ影響力があるが、それでも興味を持った人にしかその声は届かない。
ましてそれらの人たちは常識に反することを言うことが多いためか、「ウチの子にはとても真似できないかな」とか「すごいのはわかるけど、私には私のやり方があるから」で終わってしまう場合もかなりあるだろう。
方法論だけを聞いても、その本質(理由)はわからない。
万有引力は理解しやすいが、相対性理論や量子力学は理解しづらい。
いきおい、最も多く届く声は「まわりの声」となり、100人に2人しかいない偏差値70超えの人間の声を聞く機会は少ない(偏差値60以上は100人中16人いる)。
耳を傾けるべきは偏差値60の人間の勉強法より偏差値70を超えた人間の勉強法であるはずなのに。
こう考えると、偏差値70超が3人いる私の塾はレアであるなあ。
(副室K注:さりげなく自慢してるのか?)

もう一点、気をつけていただきたいことがある。
現代文の「内容を読み取らなければ・・・」や数学の「センス」に通じるものだが、教育についてモノを述べる人間が、どれだけ分析し、どれだけの指導経験があり、どれだけの実績があるかである。
現代文の内容の読み取りも数学のセンスも、できるに、あるに越したことはない。
しかし、どうやったら読み取れるのが、万人が読み取れるようになるのか、センスがなかったらどうするのかは別問題なのだ。
それらができない生徒に対し、どのような対策が打てるかが大切なのである。
中学生のときの国語や数学の成績が「2」だった子に、内容を読み取れだの数学のセンスを磨けだのと言うつもりなのか?
それができなければ大学はあきらめろと?
つまり、偏差値70を超えているだけではダメで、自分の主張を裏付ける理論と客観的データを持っていなければ、「真実」は語れない。
理論もデータもない主張はタダの独りよがりであり、2ちゃんねるでも「ソースは?」と言われ一蹴されてしまう。

少なくとも、私と副室Kならこれらの疑問に答えられる。
英語・現代文・数学において何が最も大切で、何をすべきで、どのくらいの時間がかかるかを答えられる。
だから胸を張って「真実」をタイトルにしている。
耳障りのいいことばかり言ってはいないと思う。

では、ここまで論理矛盾がなければ各科目論へ進みたいと思うのでありますが、いかがでしょうか?
(副室K:まあ、だいたいよろしいでしょう)

では、つづく






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