2013年5月22日水曜日

合格実績

突然ですが、過去の大学合格実績を表にしてみました。

もし誤りがあったら、とくに卒業生の人は指摘してね。











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2013年5月21日火曜日

受験と自立



Hへ。入力するとhheとなるのでなんか変だ。まあいい。Hへ。
君はとてもかわいくて面白い女の子だった。
・・・こんなことを言うと「キモーーーーーーーイ!!!」という絶叫や、保護者様からのシャレにならない非難が起こると思われるので、ぜひ言い訳したい。
“かわいい”とは、大人として向き合えないことの裏返しでもあるのだから。

入会は高1の終わりだったか。
高校の偏差値は50。成績はクラスブービー(下から2番目)。評定平均3未満。特技なし。
つまり、大学へ行くにも推薦は無理。そして一般受験はもっと無理だった。
専門に行くにしても働くにしても、やりたいことがまるで思いつかないとのこと。ニッチもサッチもいかない。迷宮の奥底。どつぼ。メビウスの輪。…どう表現したらいいのか、まあそんな進退窮まる状態だった。

授業中も授業外でも人の目を見て話さない。髪の毛でカーテンを作るから寝てるか起きてるかもわからない。2回に1回は授業を休む。教科書の和訳は嫌々。語いはともかく、和訳の技術だけは伝えたかったのだが。
「コレとコレつなげればいいんスかあ?」
まったくやる気のない低い声で反応する。そしてよく間違っている。
試験前でさえ、
「10日前からこれをやれ」→部活が忙しいとかでやらない。
「3回繰り返せ」→ハイ、と返事だけしてやらない。
「30回声に出せば覚えるはずだ」→えーーー、と言って覚えない。
が1年以上続いた。
英語なんか予想問題まで作った。当然だが少なくとも半分以上は的中しているのに、点数が半分なかった。
そして、Hが唯一熱心にやっていた部活も引退となった3年生の1学期。成績はついにクラス最下位となった。嗚呼。

で、あーでもないこーでもないがあって、結局一般受験をすることになった。バクチだった。
性格的にも成績的にもAOや推薦は無理との判断もあった。
Hはとにかく人の目を見て話さない。実は私の顔を知らないんじゃないか? と思っている。
一般受験を選んだ最も大きな理由は、彼女なりに目標も見つけたからだ。
その目標はなんと、小学校の教師である。偏差値50の高校の、クラス最下位の成績で。
面白いではないか。
これまで悪口ばかり書いたが、性格的にはとても向いていた。
塾には小学生も通っているが、Hは小学生をとてもかわいがり、思いやり、小学生の目線まで降りていくことができた。
しかも意外に道徳的な面があり、悪いことは悪いとはっきり言うのだった。
が、小免(小学校教員免許)の取れる大学は限られている。
入試科目の多くが英語・数学・国語からの選択なのだが、幸い、現代文は急激に伸びた。
センター過去問ならば7割は切らなくなり、学校の定期テストでも、50点を超える科目はこれまでほとんどなかったHが、ノー勉で現代文が70点を超えた。
一方、英語は難しかった。
Hと英語の関係は、ドラえもんとねずみの関係に等しかった(高校生はこれを英作文しなさい)。
でも半年あれば、なんたって入試なんだから、必死にやるだろう。必死にやれば偏差値50くらいにはなるだろう。と思っていた。
入試問題も、辞書さえ引けばまともな点数がとれていた。
となれば、あとは語いの暗記だけなのだが、これが一番難しかった。
語いの暗記にすら誰かが必ず横につき、1日のうち何時間も語いの習得に費やした。
それでも、どうしても覚えられなかった。
タイムリミットが近づいていた。

ついに検討に検討、相談に相談を重ねた上で、英語をあきらめ、入試科目を数学にスイッチした。もう秋だった。
これが正しかったかどうかは、いまだにわからない。
しかし、Hのすっきりした表情と、数学に対する姿勢からは、少なくとも間違った決断ではなかったと信じている。それくらい英語がイヤだったようだ。
数学はがんばった。
入試最終日の前日まで、夜中や明け方にメールで質問が来た。
あんなに勉強しているHは見たことがなかった。


結果、Hは滑り止めにしか合格しなかった。
それでも高校の先生は「倍率のある大学に、しかも小学校教員養成課程にHが合格したのは奇跡」と言ってすごく喜んでくれたそうだ。
私は正直、自分のことのように落ち込んでいたのだが。

先日、ご両親が揃ってわざわざ挨拶にいらしてくださった。
戦犯である私となごやかにお話くださり、
「入試の直前、あんなに勉強したHを見るのは初めてでした。あれが半年続けばねぇ。これからは教員採用試験に向けてがんばってほしい」
とおっしゃってくださった。
それで私は以前、“努力が必ずしも報われるとは限らない。でも全力を尽くせば、たとえ結果が×であっても、必ず得るものはある”と書いたのを思い出した。
私は、高3は男子女子に関わらず大人として扱ってかまわないと感じていたし、事実、そうしてきた。
ところがHに対しては、どうしても大人として対峙することができなかったように思う。
大人として扱うということは、具体的にはある程度突き放して、さあ、食らいついて来い!という態度で接することである。
しかしさらに考えれば、どの生徒も最初から大人扱いできるわけではないのも事実である。
最初は世話を焼いて、逐一ぎゃーぎゃー言って、それでやっと一人でやれるようになるのだ。どの子も。
そう考えると、Hはまだ世話を焼いている段階で入試を迎えてしまっただけ、という簡単な予想が成り立ってしまう。
事実、私はある大学の入試前日に、Hに対して
「大人になれ」
と声をかけたことがあった。
“かわいい”とは、つまりはそういうことだったのだ。

2年もお預かりしてHを独り立ちさせられなかったことに対する申し訳なさと悔しさは多分、これからも消えない。
それでも振り返れば、私はHに対して手を抜いたことは絶対になかったと言い切れる。
Hはウチに来る前にも塾通いをしていたが、そこでは
「英語は訳を全部教えてくれる」
「数学は解答を全部教えてくれる」
だったそうだ。
ところがウチへ来ると、
「英語は、単語と基本文と訳のテクニックは教えてくれるけど、答えは絶対に教えてくれない」
「数学は、公式や法則や基本テクニックは教えてくれるけど、答えは絶対に教えてくれない」
に変わり、とても戸惑っていたそうだ。
このように私たちは、Hが高2の頃から受験を見据えていた。
高3になってからも他の受験生に対するのと等しく、Hに対しても完全に燃焼しきったと偽りなく言える。やるべきことはすべてやり尽くしたと思える。
Hも、高3になってからはがんばった。夜中までメールで質問してきたんだもんな。
あとちょっと、あと少しで手がかからなくなって、自立できたはずなんだ。

努力が必ずしも報われるとは限らない。しかし、心から努力した、もうこれ以上は努力できなかったと思えるのなら、得るものは必ずある。決して無駄ではない。
大学受験の経験は、がんばった経験は、教員採用試験にきっと生きてくる。…はずだ。
そのころにはいくらなんでも自立しているだろう。
よな?!



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