2013年3月28日木曜日

正統派合格体験記 AO・自己推薦編


未来は思い描いたとおりに・・・?


このブログに以前ちょいと登場したこともある女子、Aが、“公言どおり”自己推薦入試で昭和女子大の初等教育に合格した。
そう、このブログの記事“なぜ勉強するのか”で
「アタシ、推薦で昭和女子大に行くの」
と未来を断定していた彼女だ。
自己推薦入試の倍率は5倍。彼女の通う高校の普通科から初等教育へは初の合格者であるらしく、職員室は彼女の“快挙”に浮かれたらしい。
Aが通う高校の偏差値は50。Aの評定平均は3.4。決して高いわけではない。昭和女子大受験はまさにチャレンジだった。

Aの入塾は小6だったが、話は6年後にワープする。
Aのお母様、A、MJ、副室Kの四者面談にて。

Aのお母様とA「AOで受かったらいいんですけど…」
MJ「AOは落ちます。次の自己推薦が勝負です。自己推薦で落ちたら一般受験ですから、とにかく一般受験を目指して勉強します」
一同「・・・・・・」(ドン引き)

といういつものドン引きパターンをやっちまった。
昭和女子大は一般の高校生に対し、AO、自己推薦、指定校推薦(不合格者が出る)、そして一般という入試制度を用意している。
AOも自己推薦も倍率が高く、とくに初等教育は人気が高い。一般受験のほうが入りやすいんじゃないの? と思えるくらいだ。
それでもAOと自己推薦と一般を全部受ければ3回のチャンスがある。
Aは高1のころからAOと自己推薦に照準を合わせており、高2から小論文の訓練もしてきた。
しかしながらAの高校時の活動に目立った成果がなく、その点でAOは不利だと判断し、そしてそれを正直にお伝えしたらドン引きされた。

が、Aにあきらめた様子はなかった。
AOが不利なら、エントリーシートと小論文で逆転してやろうと意気込んでいた。
しかしエントリーシートを書いてみると、まるで勘違い野郎。お嬢様の優等生ぶりっこ。
大学が求めてくるであろう“教育に携わる者に求められる資質”がまるで読み取れなかった。
このままでは自己推薦でも合格はないし、仮に一般入試で合格したところで教採(教員採用試験)には合格しないと思われた。
ぶっちゃけて言えば大学は教採の合格率を誇りたいわけで、「コイツは教採には受からんな」と思うやつは落とすのだ。
教採に受かる“資質”とは、考え方のことである。こればっかりは答えを覚えこませても意味がなく、よしんばそれができたとしても面接で化けの皮がはがれる。
そこで私は夏休みを利用して、Aに“資質”をつけさせるためにノートを作らせることにした。
そのノートに、私が出す課題について調べたり、自分の考えを書いていき、毎日私に見せることを求めた。たとえば「教員採用試験の試験制度を調べろ」とか「OECDが教育についてどう述べているか」とか「世界の最貧国に教育を普及させるにはどのような方法があるか」「そもそも最貧国に教育は必要か」とか。
Aが今まで考えてもこなかったような問題。哲学的でもあるし、現実的でもあるこれらの問題を、Aなりに必死で調べ、考えてきた。
しかし私は納得がいかないと
「ちがう」
の一言であっさり退けていた。
加えて、小論文でもダメ出しが続いていた。
高2からやっていただけあって形式はしっかり書けているが、どちらかというと思考・内容勝負の学科である。その内容がお粗末だった。

そんなことが何度も何度も繰り返されたある日、Aはついに泣き出した。「うわーーーーーん」と、まるで小さな子どものように。
「どおしていけないんですかあーーーー。アタシには無理なんですかーーーー。うわーーーーん」
このときどう接したかどんな言葉をかけたか、私は正直覚えていない。
しかしAが絶望を感じたであろうこのときを境に、Aは変わったと思う。
後に聞いたのだが、「MJを倒す。絶対にうん、いいんじゃない、って言わせてやる!!」と思ったようだ。
Aにしてみれば、まずノート作りの意義がわからなかったそうだ。「正直、こんなことしてなんになるの? って思ってた」とは後日譚である。
それでも夏休みが終わる頃にはノートがいっぱいになった。それをAはお父様に見せたことがあったそうだ。そのときお父様は
「ふーん、Aはこんなふうに考えていたんだ。先生になりたいっていうのは本気だったんだね。Aとこんなに真面目な話をするのは初めてだね。このノート、すごくいいね」
とおっしゃったそうだ。そのとき初めてノート作りの意味がわかり、その他の事も1本の糸で繋がった、とAは言っていた。
なんだ、ぜんぜん信用されてなかったのかよ。

夏が過ぎ、エントリーシートの提出日が近づいた。
そんなある日、なんとなく予期はしていたが恐ろしいことが起きた。
Aが午後10時を過ぎたにもかかわらず「書き終わるまで帰らない」と言い出したのである。
「ご家族がOKで、かつ迎えに来てくれるのならいいよ」
という条件を出した。女子だし、ご家族がOKするとは思わなかった。
ところが、終わったら兄キが迎えに来てくれるからOKだと。
オワタ…
Aの兄にファミレスに軟禁されたことが思い出され、私は覚悟を決めた。
こいつらは、言い出したら納得するまで譲らない。

おかげで、エントリーシートは納得のできるものとなった。
これで落とされたらこの大学は見る目がない。第1志望にするな、とまで言った。
で、順当にエントリーシートは通った。
AOの面接は高校が十分な対策をしてくれているとのことだったので、方針が矛盾するとAが混乱する恐れがあったため高校の方針に任せることにした。
ところがというべきかやはりというべきか、考えが甘かった。
面接で大失敗をしてくれたらしいのである。
それも、やってはならないNGをやっちまったらしい。
面接の様子を聞いただけで、AOに合格する可能性がゼロだと知れた。
高校を批判するつもりはないが、こと面接対策に限っては、専門の塾のほうが明らかに大学の望むポイントを押さえていると思う。
中学校や高校の面接対策を聞くと、やれ礼儀とか、志望理由がすらすら言えるかとか、言葉遣いとかに重点を置きすぎているのである。
面接はそうではない。コミュニケーションである。大学の先生なら、その子がどんな子であるのか、少し話せばわかるのである。表面の取り繕いはまったく意味をなさないどころか、逆効果ですらある。あ、批判してるわ。
私は高校の面接対策に大いに不満があることをはっきり告げた。
そして副室Kも面接対策に乗り出してくれた。
「Aさあ、好きな人に『好きです』って言うときに、いちいち理由をいっぱい言うの? 理由を言えば伝わるの? 違うでしょう。『好きで好きで、ほんとに好きなんです』って言うでしょう? 面接も同じなのよ」
その通りである。

AOに絶望した時点でAに開き直りが見られ、一般受験を強く意識し出した。まあ、今までやってなかったのかよ、って感じだが。
いずれにせよこれで“勉強していますオーラ”が出て、面接でもプラスに働く。
「勉強しないで受かろうってのが甘かったのよ。いいの、アタシは一般受験で受かるから。でも悔しいから自己推薦で言いたいことめちゃくちゃ言ってきてやる」
表情も生き生きとしていて、本来のAになったようだった。


果たして、四者面談の予言どおりになってしまった。
私はAOで100%落ちると思っていたわけではない。「落ちます」と言ったのは、楽観的過ぎるAを戒める意味もあった。
一般受験を意識させたのも、「お願いだから大学に入れてください。でないとワタシ、こまっちゃう」なんていう変なオーラを出させないためだ。勉強していないとこういった負のオーラを出し、大学の先生に見抜かれてしまうものなのだ。
自己推薦入試に合格できたのには、たしかに運もあった。
まず、Aが高1のときに大学説明会で話をした先生が面接担当であったようだ。
そして面接では、『どうしてこの大学を選んだのかを、事前に提出した志望理由に書いていない言葉で、自分の言葉で教えて』と言われ、『すんごく好きなんですっっっ』を連呼したそうだ。
さらになんと、試験前日に私とAが論じ合った「しつけと虐待の境界線はどこか」が、面接でまんま問われたそうだ。試験前日は土曜日で、私は通常は出勤していない。しかし正直Aが心配で様子を見に行き、たまたま私が出した最後の小論文課題がそれで、私が塾に着いたときにちょうどAがそれをやっており、それについて話し合ったのだった。

試験当日の話をから聞いた。
集団面接が始まり、志望動機を自分の言葉で、感情を込めて伝えた後、いよいよ本題に入り、教授が、
「みなさんにうかがいます。しつけと虐待の違いはどのような点だと思いますか?」
と全員に向かって問いを投げかけた。
Aは誰も挙手しないことをちらりと確認したあと、挙手した。
「はい。愛情があるかどうかだと思います。」
運命の瞬間だった。
は、このとき、教授のケツが浮き、身を乗り出したのを見たという。
教授「ほう。続きを聞かせて。」
A「はい。(以下略)」


それらを聞いたとき、Aには言わなかったが、私は合格を確信した。副室Kが証人だ。
そして見事、公言どおり、そして予想通り、Aは昭和女子大の初等教育に合格した。
集団面接が終わったときには、今までAの目の前に立ちはだかっていた壁が、すっかり崩れ落ちていたのだ。

こう書いてしまうと運だけで受かったみたいだが、それは絶対に違う。
副室Kも以前に書いていたが、運は本当にがんばった人しか引き寄せられない。
いくら面接がよくても小論文がお粗末ならオワリだったし、たまたま考えていた論点が出たと言っても、普段から考えていない限り、たくさんたくさん考えていない限り、そうそう的中するものでもない。
まして、ノート作りをしていなければ、たとえ問題が的中しても考察力が不足し、合格していなかったであろう。

それにしても副室Kはよく言ったものである。私は反論していたのだが、こうも証拠を突きつけられてはね。
副室Kいわく

「未来は、思い描いたとおりになる」

らしいよ。


2015/10/21一部追記しました。集団面接の内容について、もう時効かな?と思ったので詳細を公開しました。

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2013年3月1日金曜日

大学受験合格体験記 ゲームと博打


ゲームと博打(バクチ)

一昨日、高3生の一人から第1志望合格の報告があった。繰り上げ合格だった。
彼は偏差値50の公立高校に通う。成績は下の下。サボることしか考えていないゲーマー。
入塾時、「将来は公務員になって楽をしたい」と言って憚らなかった、本物のバカである。
「なら、今すぐ(高卒程度の)公務員試験受ければ?」と言ってやったらもにょもにょ言い訳していたが。

合格した大学は、彼の通う高校の偏差値より6も上だ。
“勉強法の真実ブログ(偏差値について)”でも述べたように、高校の偏差値と大学の偏差値では510も大学のほうが低く出る。高校受験生の上位60%しか大学受験をしないためだ。
つまり、彼の適正は偏差値4045の大学であって、偏差値56の大学へ入学することは大躍進といえる。しかも彼の場合、特にサボりすぎて高校内容の知識ゼロのスタートであったから尚更である。

何が彼を合格させたのか。
とても受験生とは思えない夏休みを過ごし、塾へ来いと言って来ない。私の隣で自習しろと言っても別室に逃げ出す。様子を見に行くと必ずケータイをいじっている。
授業でも終了時刻が近くなると、早く帰りたくて椅子からケツが浮いていた。
欠点を挙げれば、それこそキリがなかった。

それでもさすがに英単語だけはぼちぼち覚え始めた秋も深まる頃、彼は突然「法政大学」の名前を挙げた。
今の今まで「東洋、専修」と言っていたやつが、さては狂ったかと思った。
「まあ、一般論で言えば、本気でやれば受からない大学ではない。ただ、ニッコマとは勉強の方法が異なるから、これまでの勉強法では通用しない。これからは俺の言うことを完全に聞くしかない。それでもやるのか?」

それから法政対策が始まった。
が、詳しく書く必要のないくらい、早々と根を上げた。
本人は挫折したつもりはないみたいなのだが、法政対策がいやでいやで仕方がないといったオーラが伝わってきた。
授業中に私が詰問しまくるという凄惨な光景の中、周囲が負のオーラを感じて首をすくめている頃、そう、こんなときはいつも副室Kがいい場面を持っていく。
「オメーな、MJの言うとおりになんかひとっつもできねーじゃねーかよ! MJがやれって言ったことをやらねーでMARCHなんか受かるわけねーだろ。誰もお前に法政受けてくれなんて頼んじゃいねーんだよ! 今すぐやめちまえ!!」
正論だが、副室Kはなんでそんなに簡単にキレられるのだろうか。うらやましい。
しかしそれから数日、彼なりに考えたのだろうか。
「MJ先生の言うとおりにするので、どうすれば受かるか、教えてください。」
それは何度も言っただろう…と言いかけてやめた。あまりに真剣だったから。
「今までの自分がいやなんです。クズな自分を変えたいんです。お願いします!」
既にセンター対策の時期となっていた。

彼はセンターで東洋を引っ掛けるつもりでいた。
もしセンター対策が一般入試の邪魔になるようならセンター対策をしないつもりであったが、ひとつの発見があった。
すでに語彙が8割がた入っており、集中していれば英語は思いがけない高得点を取るのである。
そして急速に現代文の力をつけ、75%~95%で安定して他の科目をカバーできるまでになった。
一方、1日集中するとその後2日は使い物にならない、ということも露呈した。お前は競走馬か。
つまり、彼は上位大学受験生の3分の1しか集中して勉強できないという体質の持ち主だったわけだ。
加えて、結果に一喜一憂しまくった。
こいつを、どうしろと?

最終的な受験校決定はセンター後となった。
なんと奴は第1志望を法政から國學院にするという。
法政に思い入れなんかなかったんじゃねーか。
もう私はこの時期、「ダメなら浪人しろ。」と、ことあるごとに、公然と口にした。
私は、特に男子なら、受験はバクチであるべきだと思っている。
行くか、引くか、だ。
もし行くと決めたら退路を断ち、結果は自分で受け止める。それが受験のあるべき美しい姿だと信じている。
バクチが打ちたくなければ、高1の春から真面目に勉強し、指定校推薦を取ればよかったのだ。
もし受験をゲームにしたいなら、いくつライフを減らしても生き残れるように偏差値をかなり下げた滑り止めを受ければいいだけだ。
しかし、人生を賭けたバクチを打つつもりになれば、BETする対象に本気になるだろう。
真剣に分析し、観察し、勝つ確率を極限まで高めようと努力するだろう。
少なくとも私はそうするし、マージャンや競馬が強い人はみなそうしているはずだ。
負けても笑っていられるのはバクチではない。それはゲームである。
受験は決してゲームであってはならない。
「受かりますかね? 2つ受ければ受かりますか? 3つならどうですか?」
と不安がる彼に、
「知らん。確率の問題だ。受験は絶対に100%にはならん。」
と言い続けた。

結局、彼は安全校を受けなかった。
すべて落ち、第1志望だけ受かったのは、浪人を覚悟しつつ退路を意識しなかったからに他ならないだろう。


なにやら走馬灯のような記事となってしまった。
思えば、12月からは日曜日も毎週塾を開け、高3は塾内模試の日とした。
恩着せがましいようだが、毎週毎週、タダで英国センター過去問の解説をした。初老のMJにはとてもきつかったから、普段は絶対に言わない(ように努めている)愚痴を、この場で少しだけこぼさせてもらう。
今年はきつかった。
高3の中に、偏差値50の高校の、なんとクラスで最下位のやつが2人もいた。
でも、正直、私は彼らがかわいかった。
努力するということのすばらしさ、尊さ、そして大袈裟だが人生における努力の意味と役割を知って、ずっと成長し続ける人間になってほしかった。
受験を通じて、子どもから大人になってほしかったのだ。

今年、高3は4人いた。
まだ1人だけ発表を残しているが、どの子にも並々ならぬ思い入れがあった。
“あまり思い入れては成長が促されない”という持論があるため表には出さないようにしていたが、こらえきれなかった場面もあった気がする。
どの子も記憶に残したいので、また書くことにします。








ご意見・ご連絡は・・・
へおねがいします。