2013年3月1日金曜日

大学受験合格体験記 ゲームと博打


ゲームと博打(バクチ)

一昨日、高3生の一人から第1志望合格の報告があった。繰り上げ合格だった。
彼は偏差値50の公立高校に通う。成績は下の下。サボることしか考えていないゲーマー。
入塾時、「将来は公務員になって楽をしたい」と言って憚らなかった、本物のバカである。
「なら、今すぐ(高卒程度の)公務員試験受ければ?」と言ってやったらもにょもにょ言い訳していたが。

合格した大学は、彼の通う高校の偏差値より6も上だ。
“勉強法の真実ブログ(偏差値について)”でも述べたように、高校の偏差値と大学の偏差値では510も大学のほうが低く出る。高校受験生の上位60%しか大学受験をしないためだ。
つまり、彼の適正は偏差値4045の大学であって、偏差値56の大学へ入学することは大躍進といえる。しかも彼の場合、特にサボりすぎて高校内容の知識ゼロのスタートであったから尚更である。

何が彼を合格させたのか。
とても受験生とは思えない夏休みを過ごし、塾へ来いと言って来ない。私の隣で自習しろと言っても別室に逃げ出す。様子を見に行くと必ずケータイをいじっている。
授業でも終了時刻が近くなると、早く帰りたくて椅子からケツが浮いていた。
欠点を挙げれば、それこそキリがなかった。

それでもさすがに英単語だけはぼちぼち覚え始めた秋も深まる頃、彼は突然「法政大学」の名前を挙げた。
今の今まで「東洋、専修」と言っていたやつが、さては狂ったかと思った。
「まあ、一般論で言えば、本気でやれば受からない大学ではない。ただ、ニッコマとは勉強の方法が異なるから、これまでの勉強法では通用しない。これからは俺の言うことを完全に聞くしかない。それでもやるのか?」

それから法政対策が始まった。
が、詳しく書く必要のないくらい、早々と根を上げた。
本人は挫折したつもりはないみたいなのだが、法政対策がいやでいやで仕方がないといったオーラが伝わってきた。
授業中に私が詰問しまくるという凄惨な光景の中、周囲が負のオーラを感じて首をすくめている頃、そう、こんなときはいつも副室Kがいい場面を持っていく。
「オメーな、MJの言うとおりになんかひとっつもできねーじゃねーかよ! MJがやれって言ったことをやらねーでMARCHなんか受かるわけねーだろ。誰もお前に法政受けてくれなんて頼んじゃいねーんだよ! 今すぐやめちまえ!!」
正論だが、副室Kはなんでそんなに簡単にキレられるのだろうか。うらやましい。
しかしそれから数日、彼なりに考えたのだろうか。
「MJ先生の言うとおりにするので、どうすれば受かるか、教えてください。」
それは何度も言っただろう…と言いかけてやめた。あまりに真剣だったから。
「今までの自分がいやなんです。クズな自分を変えたいんです。お願いします!」
既にセンター対策の時期となっていた。

彼はセンターで東洋を引っ掛けるつもりでいた。
もしセンター対策が一般入試の邪魔になるようならセンター対策をしないつもりであったが、ひとつの発見があった。
すでに語彙が8割がた入っており、集中していれば英語は思いがけない高得点を取るのである。
そして急速に現代文の力をつけ、75%~95%で安定して他の科目をカバーできるまでになった。
一方、1日集中するとその後2日は使い物にならない、ということも露呈した。お前は競走馬か。
つまり、彼は上位大学受験生の3分の1しか集中して勉強できないという体質の持ち主だったわけだ。
加えて、結果に一喜一憂しまくった。
こいつを、どうしろと?

最終的な受験校決定はセンター後となった。
なんと奴は第1志望を法政から國學院にするという。
法政に思い入れなんかなかったんじゃねーか。
もう私はこの時期、「ダメなら浪人しろ。」と、ことあるごとに、公然と口にした。
私は、特に男子なら、受験はバクチであるべきだと思っている。
行くか、引くか、だ。
もし行くと決めたら退路を断ち、結果は自分で受け止める。それが受験のあるべき美しい姿だと信じている。
バクチが打ちたくなければ、高1の春から真面目に勉強し、指定校推薦を取ればよかったのだ。
もし受験をゲームにしたいなら、いくつライフを減らしても生き残れるように偏差値をかなり下げた滑り止めを受ければいいだけだ。
しかし、人生を賭けたバクチを打つつもりになれば、BETする対象に本気になるだろう。
真剣に分析し、観察し、勝つ確率を極限まで高めようと努力するだろう。
少なくとも私はそうするし、マージャンや競馬が強い人はみなそうしているはずだ。
負けても笑っていられるのはバクチではない。それはゲームである。
受験は決してゲームであってはならない。
「受かりますかね? 2つ受ければ受かりますか? 3つならどうですか?」
と不安がる彼に、
「知らん。確率の問題だ。受験は絶対に100%にはならん。」
と言い続けた。

結局、彼は安全校を受けなかった。
すべて落ち、第1志望だけ受かったのは、浪人を覚悟しつつ退路を意識しなかったからに他ならないだろう。


なにやら走馬灯のような記事となってしまった。
思えば、12月からは日曜日も毎週塾を開け、高3は塾内模試の日とした。
恩着せがましいようだが、毎週毎週、タダで英国センター過去問の解説をした。初老のMJにはとてもきつかったから、普段は絶対に言わない(ように努めている)愚痴を、この場で少しだけこぼさせてもらう。
今年はきつかった。
高3の中に、偏差値50の高校の、なんとクラスで最下位のやつが2人もいた。
でも、正直、私は彼らがかわいかった。
努力するということのすばらしさ、尊さ、そして大袈裟だが人生における努力の意味と役割を知って、ずっと成長し続ける人間になってほしかった。
受験を通じて、子どもから大人になってほしかったのだ。

今年、高3は4人いた。
まだ1人だけ発表を残しているが、どの子にも並々ならぬ思い入れがあった。
“あまり思い入れては成長が促されない”という持論があるため表には出さないようにしていたが、こらえきれなかった場面もあった気がする。
どの子も記憶に残したいので、また書くことにします。








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