2013年10月19日土曜日

どんな教師・講師に我が子を預けたいか その2

前回の続きです。


多くの生徒を伸ばす講師がいる、という事実がある。
一方で、偏差値が同じ高校なら、どこも進学実績は変わらない、という事実がある。
矛盾するこれらの事実は、どう説明できるのだろうか。
ひとつの説明は、ミクロとマクロ、大局と部分の違いなのではないかと思われる。
つまり、多くの生徒を伸ばす講師も、そんなに多人数を見ることができるわけではない、ということだ。
そしてもうひとつの説明は・・・
生徒と講師の精神的な距離だ。
論語の学而に『有道に就きて正す(就有道而正焉)』という言葉がある。
「徳の高い人について自分を正そう」というような意味だが、現代的には「理想とする人を見つけて、その人の振る舞いや考え方を学ぼう」という意味になろう。
30人を超える学校の教室や、それ以上の人数となる予備校では、講師(教師)と密接な時間を過ごそう、精神的なものを学ぼうとする生徒は、そう多くはいないだろう。
自分の理想とする講師や教師に当たるのは、運に恵まれた人だけかもしれない。
私は幸い、中学時代に伊住先生、高校時代に(書物の中でだが)伊藤和夫先生に出会い、師と仰いだ。師は永遠に超えられない存在として、今も私の中に立ちはだかる。
私の話はいいとして、きっかけを与えてくれるような人は、技術的にではなく精神的に自分の中に食い込んでいる感じがする。
講師(教師)との精神的距離は、どれだけその人を近くに感じたか、にある。
技術だけでなく、精神的な影響を受けるためには、精神的にその人の近くにいなければならない。
そのような人は心から尊敬できるし、その人の真似をしたいと願い、その人を師と感じるようになる。
そんな人は、いずれ自分を変えてくれる。すなわち、成長させてくれる。
つまり、自分を変えてくれる人になる。
そんな人を、草の根を分けてでも探すべきだ。出会うべきだ。

人間は常に変わっていかなければいけない。変化しなくてはいけない。
少し前に話題になった本『下流志向』の中で、著者の内田樹先生はこのように述べています。
『私たちの体は数日間で入れ替わっており・・・変化することが生物の自然なのです。・・・外界の変化に適応して変化できる個体は、そうでない個体よりも生き延びる確率が高い。だからこそ、人類はその黎明期から「学び」のプロセスに子どもたちを投じることが必要であることに気付いていたのだと思います。・・・子どもがまず学ぶべきことは、「変化する仕方」です。学びのプロセスで開発すべきことは何よりも「外界の変化に即応して自らを変えられる能力」です。』
いかがだろうか。
冒頭のアンケートでも、親御さんの大多数がそれを望んでおられるのがわかる。
親御さんは広く厳しい社会で生きておられるのであるから、その社会を生き抜ける子どもを育てよう、という意識が必ずあるはずだ。
教育業界という狭い社会にいる講師や教師は、ともすればこの意識が希薄になる面がないとは言い切れないのではないか。
本来、生徒が変化してゆく姿を見ることは、親が子どもの成長を眺めるがごとく、幸せなことのはずだ。
私自身は、別段誰かに影響を与えて人を変えるような存在であるとは思っていない。そんな、おこがましい。
でも少なくとも私は目の前の生徒を変えようとするし、変わっていく姿を見るのが楽しいからこの仕事をしているのだと、あらためて気付かされる。
今も昔も講師(教師)に期待されているのは、子どもを変えよう、という意識なのだ。

『下流志向』の中で、著者の内田樹先生はこうも述べている。
要約であるが、
『抽象的思考が出来る子は、具体的思考の強い子と比べ、成績がよく、論理的にものごとを考えることが出来る』と。
『未来思考の出来る子(筆者注:そんなに遠い未来じゃなくていいと思う)は、現在思考の強い子と比べ、成績がよく、現時点での一時的な快楽という誘惑に勝ちやすい』と。
『教育とは、具体的思考の子に抽象的思考の有利さを発見させ、現在的思考の子に未来を見せる作業である』と。
講師がすべきことは、ずばりこれだろう。
生徒を手取り足取り教え続けるのが教師(講師)の役割ではない。
生徒に迎合するのは教師(講師)ではない。
ときには失敗をさせないと、生徒は成長しない。
手取り足取りは、生徒に抽象的思考をさせていない。
生徒に迎合しては、生徒に未来を見せられない。
講師は、生徒を変化させなければならない。
優しい先生、自分たちの気持ちをわかってくれる先生が好きな子は、それでいいだろう。
厳しく管理してくれる先生が好きな親御さんも、それはそれでいい。
しかしここに登場した講師たちは、少なくとも生徒に好かれようとはしていなかった。
上司や親御さんに評価されるために、生徒を犠牲にすることはしなかった。
ただひたすら必死に、生徒を導いていた。
「こっちへおいで。努力すれば、新しい世界が開けるよ。きついこともつらいこともある世界だけど、胸を張って生きられる世界だよ。努力が必要だけど、君ならできるよ。変わろうよ。」
と無言で言ってあげられる、すばらしい講師たちだった。
「今のまんまの君でいいよ」なんて、言うはずがないだろう。
変化こそ、成長なのだから。


ウチは、ごく普通の子どもに変化を強要する塾です。






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2013年10月14日月曜日

どんな教師・講師に我が子を預けたいか その1

このところ講師関係の話題が続いていたが、塾側からの話がメインだった。
では、みなさんの側、つまり、教えてもらう側やお子さんを預ける側のみなさんにとって、と考えると、どんな講師が理想となるのだろうか。
もちろん、理想や希望が人それぞれ異なるのは、私だってわかっている。
それらが正しいとか、誤っているとかも、結果が出ない限りわからないことも、当然わかっている。
そして、100人中100人に支持される講師(教師)も存在しないことも、わかっている。
それでもその上で、少しだけ「理想的な講師」について考えさせていただきたい。


横浜市教育委員会が2011年に保護者に対して行ったアンケートがある。
その中に「保護者が教員の指導に望むこと」という項目があった。その結果は・・・
「教育への責任感や使命感」68.7
「非行やいじめなどの問題行動への適切な対応」58.0
「社会人としての一般常識」50.8
「公正・適正な評価・評定」49.7
「授業力や教科などの専門知識」45.7
などの順になっていた。
これは教師に対する要望なので塾講師に対するそれとは違うと思う。特に授業力の面。
それでも、アンケートからは多くの親御さんが人格的な面を非常に重要視しているのがわかる。
まだまだ日本は大丈夫だ。

講師には、生徒を伸ばす講師と、伸ばさない講師が存在する。もちろん教師だって同様だろう。
このことは、話の上手下手、人気があるないとはあまり関係がない気がする。いや、関係がない。
逆に、どんなに授業力の高い講師に教わっていても、伸びる子と伸びない子がいる。
このことの解明は永遠のテーマなのだが、今回は中間報告という形である結論を導き出したいと思う。

まず、ひどい言い方をすれば、伸びる子はどんな講師でも(教師でも)勝手に伸びる。
伸びない子は伸びない。
これは“性格を含めた個人の資質”の問題でもあり、社会全体の問題でもあるが、社会の問題はとりあえずおいておき、個人の問題だけをとりあげる。
さて、なぜこんな乱暴なことが言えるのかといえば、偏差値が同じいくつかの高校の進学実績を比べていただければわかる。
同じ偏差値の高校の進学実績は、実に差がない。まるで差がない。
つまり、学力教育だけでは、どんなにがんばっても効果はたかが知れている、ということだ。
だから予備校などは、偏差値の高い高校の生徒を奨学金で迎え、合格実績を謳うのだ。
講師をやっていればわかる。同じことを教えても、生徒によって大きな差があることを。
そして、そんなことは実はみーんな、わかっている。
「あの子は頭がいいから」
「あのお子さんはとても優秀だから」
「地頭が違うから」
と。
あらためて私がお伝えするまでもない。

そもそも、「頭がいい」とはどういうことであろうか。
一つの指標は知能指数か。
と思って、私は先日、ネットで知能テストというものをやってみた。
どきどきしながらやった結果は、平均よりもほんのちょーっとだけ上だった。
しかも、かなりカンで解答したところもあったので、実にあやしいものだ。
私立文系の一浪だし、私の生まれつきの地頭がよくないことはこれで証明されてしまった。
2ちゃんねるでは「私立洗顔」とバカにされるタイプだ。
しかしそんな私でも現代文が得意で、大学受験英語ならすらすら読めて、中学受験算数ならほぼ何でも解ける。訓練のたまもの以外のなにものでもない。
知能指数は、大学受験程度なら学習で跳ね返すことができる。
以前にも書いたが、湘南高校の生徒ですら、「地頭がいい」なんてヤツは一握りだ。
その大多数は、人の何倍も努力して入学してきたのだ。
さらに言えば、偏差値の高い生徒は、努力のしかたが常識と少し違う。
考え方が多数派と少し違うのだ、と思ってほしい。

さあさあ、大きくズレたぞ。何の話だったっけ。
みなさんの周りにはいないだろうか。
ある日突然勉強し始め、もりもり成績を上げ、信じられないような学校に合格した人が。
もしそんな人を見たら、「あいつはもともと頭がよかったんだ。遊んでたから成績が悪かっただけなんだ」と思ってしまいませんか?
その人の頭が最初からよかったのかどうか、それは誰にもわからない。
事実としてわかるのは、その人が勉強をしはじめた、ということ。
そしてそれを持続した、勉強し続けた、ということだけだ。
ではなぜ、その人は勉強を始め、続けたのか。
それも誰にもわからない。
わかるのは、必ずなにかの“きっかけ”があった、ということだけだ。
その“きっかけ”は偶然かもしれないし、必然かもしれない。それも誰にもわからない。
ひょっとしたら本人にもわからないかもしれない。
ただ、「勉強したから頭がよくなったのだ」とは言えないだろうか?


・・・長くなったので続きます。






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2013年10月10日木曜日

Wという講師について

”勉強法の真実ブログ”2009年05月30日の記事より・・・
記事の移転を順次行っております。



昨日、Wという講師が去った。
年度途中であるが、高校教師になるというので仕方がない。

Wはもう30歳になる。
中・高に加え小学校の教員免許を取得するために大学に通いながら、ウチの塾に尽くしてくれた貴重な人材だった。
生徒にもご父兄にも信頼は厚く、任された科目にはどれも相当な努力を払っていた。
後輩の講師にも優しく注意を払い、ウチの塾になじむように率先して声をかけてくれた。
彼にとって、ウチの塾は単なるバイト先ではなかったのかもしれない。
そんなわけで、講師の中ではもちろん最高時給。
彼に育成を任せた新人講師については、新人講師にではなく彼に文句を言っていた。
それをよく素直に聞いてくれた。
思えばひどい仕打ちをしたものである。

私が彼を最も尊敬していることは、気分がマイナスになっているときでも決してそれを表さなかったことだ。
「あの時はかなりショックを受けていたんですよー」と後から聞いて、そうなのか、と知ったこともあった。
大人なんだから当然といえば当然であるが、最近なかなかできる人がいないように思う。
疲れていれば疲れを表に出すし、プライベートで何かあれば仕事ぶりに出る人が多い。
しかし男子たるもの、昔から「顔で笑って、心で泣いて」と相場が決まっている。
・・・私も彼を見習わなくてはならない。

そして昨日、講師として一番大切なことを思い出させてくれた。
彼の最終出勤日ということを知って、今まで担当した生徒が多数押しかけ、保護者の方までいらしてくれて、彼に別れを告げていた。
ウチの塾では講師研修でも、「上を見て仕事をするな。生徒を見て仕事しろ。上を見て仕事をしても評価しない。」と常々言っている。
彼は見事に、それを実践していたらしい。
講師として一番大切なことは何か。
彼は昨日、それを思い出させてくれた。

貧乏な塾なので餞別もしてやれなくて、大変申し訳なく思っている。
どうやら講師同士で何かをやるみたいなので、事情が許せばなにかしたい。

この場を借りて申し上げる。
Wよ、君はきっと教師に向いている。
君は勉強だけを教える人間ではない。
勉強なんかどうだっていいから、社会人として人間として最も大切だと君が思っていること、それを若者に伝えてくれ。
ウチの塾でのクソ努力が、新しい学校で役に立つことを願っている。


長い間、本当にお疲れ様でした。
たまにはメールくれよな。




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2013年10月3日木曜日

Uという講師について

”勉強法の真実ブログ”2009年03月16日の記事より。。


Uはサイボーグであった。
やや高めのテンションを常に保ち、驚異的な早口であった。
掲載許可はまったく取っていないが、私とUの仲を考えれば不要と心得る。
アメリカなら訴えられるはずだが、ここはなあなあ、日本社会である。

公立中から柏陽、2浪して理科大、そして大学中退というUの経歴をお伝えしただけで、その人物像は想像できるだろう。
それくらい、妥協というものを知らない男なのである。
中1時の成績はオール3だったというからたまげる。まあ、私もオール3だったが。
大学中退後、講師として大活躍し、ライブハウスでも大活躍し、そうしながら将来を決めたらしく、東大に落ち、首都大の理工に入った。Uが22歳のときだった。
首都大では首席で、奨学金をたんまりもらっていた。官費たんともらう有能な学生だったらしい。(competent=有能な、はこうして覚えましょう)
大学院は東大に進み、物理を学んでいるらしい。来年度は博士課程である。奨学金は結婚できるくらいたんまりもらえるらしい。

かれは講師時代、思考回路が非常にデジタルであった。そういう理論を好んだ。
そして常に、最小限のエネルギーで済まそうとし、思考力と自主性を重んじた。
そんな彼の考えと横浜トータルアカデミーの方針には多くの共通項があり、彼の台詞が参考になったり、横浜トータルアカデミーの指導方針が間違ってないことを確認できたりした。
彼は最も貢献してくれた講師の1人である。

さて、そんなUの台詞を並べてみる。
「手取り足取り面倒見よくしたら、自分じゃ何もできなくなる。面倒見がよいってことは生徒をどんどんバカにしてるってことになりませんか?」 そのとおり。

「国立理系が英語に割ける時間なんて、週に5、6時間なんです。だからいかに能率よく勉強するかを教えてあげるんです。」 講師の力量が試されるよね。

「計算ミスをバカにするヤツは伸びませんよ。」 はげしく同意。

「中学英語は教科書を丸暗記するのが当たり前ですよ。教科書が暗記できてから、文法や英作文が語れるんです。」 まったくその通り。

「数ⅢCなんて1週間で終わらせるんです。大学院のカリキュラムに比べたら九九のレベルですよ。」 そうなのか?

「TOEICは理系でも700点はほしいですね。」 理想はね。

「シェークスピアは原文で読むのが最高ですね。」 ・・・。

訂正。
Uはサイボーグではなく、ただのヘンタイであった。




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