2013年2月14日木曜日

中学生へ2


中学生の学力に限界は無い。

前回の記事で、「中学生でも、大学受験を見据えて勉強すべきだ」と申し上げた。
今回はさらに発展させ、精神面について述べさせていただきたい。

中学で学習する内容は、社会に出れば一般常識に過ぎない。
いきなり「何言ってんだコイツ?」と思われそうなので根拠を述べる。
就職試験などでは「一般常識」が出題されるが、その多くが、実は中学の内容で構成されている。
「標準時と日本の時差は?」とか「DNAの和語は?」なんて問題が「一般常識」で出題されるということは、中学の内容は「常識」だということだろう?
それくらい、中学校の学習内容は基礎的なのである。だって義務教育だし。

と、何も中学内容の勉強を馬鹿にしようというわけではない。
前回お伝えしたように、中学の勉強には大学受験に通じる大切な分野がある。
言いたいのは、中学内容の勉強ならば、誰でも(100%とは言わないが)、努力すればすべて理解でき、覚えられ、身につけることができる、ということだ。
大学入試と比べればよくわかる。
大学入試を経験した方なら誰でもお分かりであろう。高校入試と大学入試では、その量と習得にかかる時間が段違いであるということを。

話が少し逸れたが、特別な事情がない限り、中学の段階でつまずくということは、基本的にはありえない。
ではなぜつまずく生徒が多いのかと言うと、よく「勉強法が間違っている」という人がいるが、実は単なる努力不足、やる気不足である場合が多い。
こう言うとさらに非難が轟々と押し寄せてきそうだが、それでも奇麗ごとは言わない。
だって、もしつまずいたと感じたならば、克服するまで努力すればよかったではないか。
もし「つまずいた」とすら感じなかったのならば、それだけ勉強に対する意識が不足、つまりやる気がなかっただけではないか。
「だって、誰にもきけなかったんだもん」「先生に聞いたけどわからなかった」という声も聞こえてきそうだ。
「誰にも聞けなかった」って、学校に行ってないのか? ならば仕方がない。それは「特別な事情」だ。
「先生に聞いたけどわからなかった」って、何でわかるまでしつこく聞かなかったの? わかったフリをしたの? その先生でわからなければ、なぜ別の先生に聞かなかったの? なぜわかるまで参考書を読まなかったの? なぜ友達に聞かなかったの? なぜ、ネットで調べなかったの? なぜ、わからないまま放置したの? 塾へ行っているのならなおさらだよ。
昔、サイボーグのような講師(今は東大なんとか研究所にいる研究員)も断言していた。
「チュウガクノナイヨウデ ドリョクシテモデキナイコトナンテ ゼッタイニ アリマセンヨ」と。

勉強に限れば、本当に、中学生には限界が無い。
すべては努力とやる気しだいである、と断言できる。
サイボーグも、中1のときオール3(2745)で、中3で3945にして柏陽に入った。
私も中1のとき2945で、中3で4145にして湘南に入った。
弊塾でアシスタントをしているKも、中1で3045で、中3で4245にしてサイエンスフロンティアに入った。
なぜ入れたのか?
それは、単に目指したからだ。
目指したから。それだけなのだ。
目指さなければ、当然、絶対に結果は手に入らない。
「アタシには無理だから~」「オレは○○高校でいいや」
それも結構である。無理に目指せとは言わない。
目標は個々にあっていい。
ただ、もし心の中に憧れの高校があり、そこに入れたらいいなと思う気持ちが少しでもあるのなら、その目標に対して嘘偽り無く努力をし尽くしさえすれば、必ずと言っていいくらい確実に入れるのだ、と言いたい。
目指す前に勝手に自分で限界を決め、なんだかんだと言って結局何をも目指さないのは、本当にもったいないことなのだ。
目指す。それだけで可能性が出てくるのに。

前回の記事にも書いたが、小学校からの積み上げが少なくても、中学に入ってからの勉強で充分に小学校内容はカバーできる。
小学校の復習を含めて中学内容を身につけるのはたしかに大変だが、脳の幼い小学生のときに理解できなかったことが中学生では理解できるということもよくある。
だから小学校で勉強が苦手だった場合も悲観することはない。ちょっと(ちょっとではないかもだが)たいへんになるだけだ。
だいいち、小学校の内容をすべて忘れずに覚えている中学生なんていないのだし。

ただ、現段階の成績が低ければ低いほど、また受験までの時間が短ければ短いほど、上位校を目指すのがたいへんになるのは事実だ。
現実的に「無理だ」と言わなければならない時間的リミットはある。
ただしかし私は、時間的に限界ではない限り、何かを目指して嘘偽りの無い努力をすれば、中学の段階でできないことなど絶対に無い、とだけは言いたいのだ。
中学内容など、まとめてしまえばたかが問題集5冊だ。1科目1冊だ。
それすらできないならば、おそらく大学は選べないし、就職試験でも苦労する。
たしかに「何かを得ようとすれば必ず何かを失う」のは当然のことで、勉強時間は必ず自由な時間を奪うだろう。ストレスもたまるだろう。
しかし、何かに向かって嘘偽りの無い努力をることは必ず自分の血となり肉となり、結果として成長した自分に出会える、ということを保証する。

私は、「勉強して後悔した」という人間に未だかつて出会ったことがない。
以前にこのブログに登場したM上は就職の最終面接でのことを次のように話した。
「最終面接はグループ面接だったんだけど、俺以外の3人は早・慶・上智なんですよ。で、『今までに一番がんばったことは?』って聞かれて、『正直に申しますと、やはり大学受験ですね。あんなにがんばったことは、それ以前にもそれ以降にもありません。』と3人が3人とも答えたんですよ。それ聞いて、俺は法政だし、いくらサッカーをやってきたって言っても、スゲーなコイツら、って思っちゃったんですよ。俺、勉強でそこまで努力したことなかったんで。」
勉強は決して強制されるものではないし、強制されても決して身になるものでもない。
あくまでも自分の意思で勉強しない限り決してプラスにはならないし、結果もまず、ついてこない。
逆に自分の意思でやれば、考え方や人生までも変えてしまうこともある。
成長するということは変化するということであるが、停滞することは退化を意味する。
成長しているときは生き生きとしているが、停滞しているとどんよりしてしまう。
このことから、人間は常に成長しなければならない生き物であると言えるが、成長するためには努力が必要である。
努力するためには目標が必要で、その目標は自分で定めたものでなければ努力もできない。
努力すれば成長した自分に出会え、毎日が生き生きする。
スポーツには才能が必要で、努力すれば誰でもM上のようになれるわけではない。
しかし勉強は、多くのデータが示すように、多くの人が口を揃えて言うように、才能は関係ない。
目標にふさわしい努力をするか、しないかだけなのである。
目標にふさわしい勉強をして、後悔することなど何一つないと言っていいだろう。
だからとりあえず、目標を高く持て。中学生の勉強に不可能はない。
自分が「どれくらい努力できる人間なのか」を、自分自身に真剣に問うてみてほしいと切に願うのだが、いかがなものだろうか。

追記
だからといって、詰め込みはいけない。思考力が大切。
あれも、これも、もいけない。1科目ずつ克服する。
本人がやる気なら結構だが、押し付けてもいけない。
長々と書いてしまったが、「あたしバカだから~」とか、「オレは頭悪いから~」とかを、努力をしないための言い訳に使ってほしくないのである。
「勉強したくないから~」ならよい。したくないものはしたくないよな。







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