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2015年11月3日火曜日

オール3からトップ校へ 体験談

今回は体験談をご紹介。
中1時にオール3に毛が生えた程度から、特色検査で高得点を出して柏陽に入った子がウチの塾にいる。
以前にも、同じような推移を描いてサイエンスフロンティアに入った子がいたし(春名賢人くんです)、さらに前に柏陽、小田原、法政第二に入った子も、似たような成績だった。そして、私自身も。
当たり前のことだが、中1時にオール3くらいの子は、それなりに成績を上げ、成績なりの公立高校・私立高校に入るのが普通だ。
でも、何人かに一人くらいは、中1時にオール3くらいでありながら、トップ校に入る子がいる。
そういう子は、普通の子とどこが違うのだろうか。
もちろん、トップ校以外に入学することはぜんぜん悪いことでも、価値がないことでもない。
本人やご家庭の選択もある。トップ校に入ることが、イコール幸せというわけでもない。
ただ、『http://totalcomune.blogspot.jp/search/label/中学生へ』でも書いたが、もし憧れの高校があり、入れたら嬉しいな~、という気持ちがあるなら、目指してみるのも悪くない、と言いたいだけである。
目指す。トップ校に入れるかどうかは、目指すか目指さないかの違いだけなのだから。


ここで、一人の体験談をご紹介します。
柏陽高校に合格したRくんの中1時の成績は、5段階で3と4がほどよく混ざった、平均より少しだけ上の成績だった。他の中3と比べても突出しているわけではなく、ごく平凡な中学生だった。
むしろ、帰国子女だったためか、国語と社会がものすごく苦手で、漢字は書けないわ、歴史や地理を知らないわで、散々苦労していた。
英語ですら帰国子女のご多聞に漏れず、文法がしっかりしていないので、定期テストですら80点台に終わり、他の塾生に負けることもしばしばであった。
体もあまり丈夫ではなく、小学校時代にはあまり勉強していないという。
そして、将来の夢は『たこ焼き屋』
なぜかと問えば、けっこうな野望に基づくものらしかった。変わった子である。
とはいえ、人当たりもよく、誰とでも分け隔てなく接することができ、常識もよくわきまえていた。

彼の転機は、中2の夏くらいであったと思う。
高校を飛び越して、大学は大阪大学に行きたいというのだ。
じゃあ、阪大に入るにはどんな高校に行けばいいの?
言い換えれば、阪大に合格実績のある高校はどこ? 
と考え、高校別の進学実績を調べてみたのだ。
すると、神奈川では翠嵐・湘南・柏陽のどこかに入らなければ、入る実力がなければ、阪大は難しいとわかった(中高一貫校は別だが、高校からでは入学できない学校が多い)。
高校別進学実績一覧を見つめる彼は、そのとき何を思ったのだろう。
内申はオール4すらない。
でも、いわゆる神奈川トップ3に入らなければ、いや、そこに入る実力がなければ、阪大に入ることが難しいことは、現実問題として高校別進学実績一覧から明らかだった。
比較的おっとりとした性格をしていて、どちらかと言えばインドア派のRが、果たしてトップ校に向かうエネルギーを持っているだろうか?
私としては、そんな不安もあった。
ただ、再三お伝えしているように、トップ校へ入るためには、まず目指すことが必要だ。
いや、目指すだけでいい。
Rから目指すことを聞いた私たちは、Rをそのように扱い始めただけだ。

トップ校に合格するような子の努力は、すごく地味である。
漢字練習をして、国語辞典を引いて、県入試レベルの計算や図形問題の反復練習をする。
その上で、大学受験を視野に入れるならば、勉強に対する考え方が大学受験生レベルでなければならない。
単純な暗記はNGで、ものごとの背景まで理解した上で覚えなければ、高校入試や特色検査、ましてその先には通用しない。
すべての解答に理由をつけられなくてはならないし、解答に至る道筋はプロ講師の許容範囲でなければならない。
たかが平方根や方程式の計算であっても、許容できる道筋は、普通は1つ。例外的に2つ。
英語は英語のルールで考えなくてはダメ。
国語は、選択肢を選ぶ理由が許容範囲でなくてはダメ。
社会は、正しい日本語で説明できるレベルで理解しないとダメ。
ダメ、だめ、駄目・・・
いったい何度、ダメと言ったことか・・・


Rは、決して順調だったわけではないし、何でもすぐに覚えるほど記憶力がよかったわけではない。むしろ、逆だ。理解力も暗記力も平凡だった。
中3になって模試を受けるようになっても、当然のようによい判定が出ない。
そして、志望校をMヶ丘にすると言ったり、K学園にすると言ったりした。
模試で満足な結果が出なければ、自信がゆらいで不安が頭をもたげるのも当然だ。
別にK学園でもぜんぜんいいのだが、でもやっぱり、初志貫徹しないのは気持ちが悪く、逃げではないのか、阪大はどうした、という気持ちは私の中にあった。
中3の内申がK学園の併願を取れるレベルだったことと、Rにとって特色検査の内容がMヶ丘より柏陽に向いていることを話し、
「Rよ。もし神様が『柏陽に入れてあげるよ』と言ったとしたら、柏陽に入学するのか?」
と聞いた。
Rは即答した。「はい。」
じゃあ柏陽にチャレンジすればいいじゃないか。失うものなんて何もないじゃないか。
そんな気のきいたセリフを私が行ったかどうかは覚えていないが、とにかくRは柏陽を受験する意思を固めた。
それからは苦手な社国を捨て気味にして、英数理と特色検査にかなりの時間を割いた。
(実は面接にも力を入れたのだが、面接についてはまたの機会に)
こうして、私たちはRを、合格可能性60%(主観・予想)の状態で送り出した。


春になって、Rは得点開示をした。
特色検査の点数は、平均点を少なくとも10点以上(ひょっとしたら20点以上)、上回っていると思われた。
面接は、基準点?を23点超えていた感じだ。
そして、送られてきた塾向けの高校受験データからは、RのC値は、ふつうに、ちゃんと、上位90%の中に入っていたようだった。二次選考ではなかった。

現在高1のRは、運動部に所属しながら、“塾版中高6ヵ年一貫教育”を実践すべく、きちんと決められた日に通塾している。
数学をガリガリ進めていて、なんだかもう微分に入ったようだが、勉強していると少しだけ楽しそうに見える(地顔が笑顔だからそう見えるだけかもしれないが・・・)。
べつにね、阪大じゃなくてもいいんだ。
人間は、変わるものだから。
勉強をするもしないも、どんな道に進むのかも、すべて自分の意思で選び、後悔したり人のせいにしたりしないことが大事なんだな。
Rいわく、柏陽の最大の魅力は、駅から近いことらしい。
入学しちゃえば、そんなもんだよな。
そう。壁を超えたその先って、なーーーーんにもないんだ。
合格したらパーラダイス!! だと思っていたのに、何にもない。ただの砂漠なんだ。
そして仕方なく周りの環境に合わせて歩いていると、次の壁にぶち当たる。
人生、案外それの繰り返しかもしれない。
憧れの高校は夢のような場所かと思っていたら、すぐに現実に戻された。
憧れの大学は毎日が輝いている場所かと思ったら、意外とみんな冷めていた。
憧れの会社は安心を感じられる場所かと思ったら、やっていけるか不安になった。
憧れの役職は誇りを感じられる場所かと思ったら、重圧の方が大きかった。
このように、ひとつの目標を達成した後でさえ、先のことなんてわからない。
壁を越えても、結局、また壁がある。
だから、どうすれば安心とか、どうすればうまくいくかとか、どこがゴールなのかとか、そんなことに答なんて、ない。
それでも、前に進まなくちゃいけない。

あれ? 何の話をしていたんだっけ・・・



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2013年2月14日木曜日

中学生へ2


中学生の学力に限界は無い。

前回の記事で、「中学生でも、大学受験を見据えて勉強すべきだ」と申し上げた。
今回はさらに発展させ、精神面について述べさせていただきたい。

中学で学習する内容は、社会に出れば一般常識に過ぎない。
いきなり「何言ってんだコイツ?」と思われそうなので根拠を述べる。
就職試験などでは「一般常識」が出題されるが、その多くが、実は中学の内容で構成されている。
「標準時と日本の時差は?」とか「DNAの和語は?」なんて問題が「一般常識」で出題されるということは、中学の内容は「常識」だということだろう?
それくらい、中学校の学習内容は基礎的なのである。だって義務教育だし。

と、何も中学内容の勉強を馬鹿にしようというわけではない。
前回お伝えしたように、中学の勉強には大学受験に通じる大切な分野がある。
言いたいのは、中学内容の勉強ならば、誰でも(100%とは言わないが)、努力すればすべて理解でき、覚えられ、身につけることができる、ということだ。
大学入試と比べればよくわかる。
大学入試を経験した方なら誰でもお分かりであろう。高校入試と大学入試では、その量と習得にかかる時間が段違いであるということを。

話が少し逸れたが、特別な事情がない限り、中学の段階でつまずくということは、基本的にはありえない。
ではなぜつまずく生徒が多いのかと言うと、よく「勉強法が間違っている」という人がいるが、実は単なる努力不足、やる気不足である場合が多い。
こう言うとさらに非難が轟々と押し寄せてきそうだが、それでも奇麗ごとは言わない。
だって、もしつまずいたと感じたならば、克服するまで努力すればよかったではないか。
もし「つまずいた」とすら感じなかったのならば、それだけ勉強に対する意識が不足、つまりやる気がなかっただけではないか。
「だって、誰にもきけなかったんだもん」「先生に聞いたけどわからなかった」という声も聞こえてきそうだ。
「誰にも聞けなかった」って、学校に行ってないのか? ならば仕方がない。それは「特別な事情」だ。
「先生に聞いたけどわからなかった」って、何でわかるまでしつこく聞かなかったの? わかったフリをしたの? その先生でわからなければ、なぜ別の先生に聞かなかったの? なぜわかるまで参考書を読まなかったの? なぜ友達に聞かなかったの? なぜ、ネットで調べなかったの? なぜ、わからないまま放置したの? 塾へ行っているのならなおさらだよ。
昔、サイボーグのような講師(今は東大なんとか研究所にいる研究員)も断言していた。
「チュウガクノナイヨウデ ドリョクシテモデキナイコトナンテ ゼッタイニ アリマセンヨ」と。

勉強に限れば、本当に、中学生には限界が無い。
すべては努力とやる気しだいである、と断言できる。
サイボーグも、中1のときオール3(2745)で、中3で3945にして柏陽に入った。
私も中1のとき2945で、中3で4145にして湘南に入った。
弊塾でアシスタントをしているKも、中1で3045で、中3で4245にしてサイエンスフロンティアに入った。
なぜ入れたのか?
それは、単に目指したからだ。
目指したから。それだけなのだ。
目指さなければ、当然、絶対に結果は手に入らない。
「アタシには無理だから~」「オレは○○高校でいいや」
それも結構である。無理に目指せとは言わない。
目標は個々にあっていい。
ただ、もし心の中に憧れの高校があり、そこに入れたらいいなと思う気持ちが少しでもあるのなら、その目標に対して嘘偽り無く努力をし尽くしさえすれば、必ずと言っていいくらい確実に入れるのだ、と言いたい。
目指す前に勝手に自分で限界を決め、なんだかんだと言って結局何をも目指さないのは、本当にもったいないことなのだ。
目指す。それだけで可能性が出てくるのに。

前回の記事にも書いたが、小学校からの積み上げが少なくても、中学に入ってからの勉強で充分に小学校内容はカバーできる。
小学校の復習を含めて中学内容を身につけるのはたしかに大変だが、脳の幼い小学生のときに理解できなかったことが中学生では理解できるということもよくある。
だから小学校で勉強が苦手だった場合も悲観することはない。ちょっと(ちょっとではないかもだが)たいへんになるだけだ。
だいいち、小学校の内容をすべて忘れずに覚えている中学生なんていないのだし。

ただ、現段階の成績が低ければ低いほど、また受験までの時間が短ければ短いほど、上位校を目指すのがたいへんになるのは事実だ。
現実的に「無理だ」と言わなければならない時間的リミットはある。
ただしかし私は、時間的に限界ではない限り、何かを目指して嘘偽りの無い努力をすれば、中学の段階でできないことなど絶対に無い、とだけは言いたいのだ。
中学内容など、まとめてしまえばたかが問題集5冊だ。1科目1冊だ。
それすらできないならば、おそらく大学は選べないし、就職試験でも苦労する。
たしかに「何かを得ようとすれば必ず何かを失う」のは当然のことで、勉強時間は必ず自由な時間を奪うだろう。ストレスもたまるだろう。
しかし、何かに向かって嘘偽りの無い努力をることは必ず自分の血となり肉となり、結果として成長した自分に出会える、ということを保証する。

私は、「勉強して後悔した」という人間に未だかつて出会ったことがない。
以前にこのブログに登場したM上は就職の最終面接でのことを次のように話した。
「最終面接はグループ面接だったんだけど、俺以外の3人は早・慶・上智なんですよ。で、『今までに一番がんばったことは?』って聞かれて、『正直に申しますと、やはり大学受験ですね。あんなにがんばったことは、それ以前にもそれ以降にもありません。』と3人が3人とも答えたんですよ。それ聞いて、俺は法政だし、いくらサッカーをやってきたって言っても、スゲーなコイツら、って思っちゃったんですよ。俺、勉強でそこまで努力したことなかったんで。」
勉強は決して強制されるものではないし、強制されても決して身になるものでもない。
あくまでも自分の意思で勉強しない限り決してプラスにはならないし、結果もまず、ついてこない。
逆に自分の意思でやれば、考え方や人生までも変えてしまうこともある。
成長するということは変化するということであるが、停滞することは退化を意味する。
成長しているときは生き生きとしているが、停滞しているとどんよりしてしまう。
このことから、人間は常に成長しなければならない生き物であると言えるが、成長するためには努力が必要である。
努力するためには目標が必要で、その目標は自分で定めたものでなければ努力もできない。
努力すれば成長した自分に出会え、毎日が生き生きする。
スポーツには才能が必要で、努力すれば誰でもM上のようになれるわけではない。
しかし勉強は、多くのデータが示すように、多くの人が口を揃えて言うように、才能は関係ない。
目標にふさわしい努力をするか、しないかだけなのである。
目標にふさわしい勉強をして、後悔することなど何一つないと言っていいだろう。
だからとりあえず、目標を高く持て。中学生の勉強に不可能はない。
自分が「どれくらい努力できる人間なのか」を、自分自身に真剣に問うてみてほしいと切に願うのだが、いかがなものだろうか。

追記
だからといって、詰め込みはいけない。思考力が大切。
あれも、これも、もいけない。1科目ずつ克服する。
本人がやる気なら結構だが、押し付けてもいけない。
長々と書いてしまったが、「あたしバカだから~」とか、「オレは頭悪いから~」とかを、努力をしないための言い訳に使ってほしくないのである。
「勉強したくないから~」ならよい。したくないものはしたくないよな。







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2013年1月30日水曜日

中学生へ


現在、大学受験生が今、最後の、本当に最後の追い込みに入っている。
そんな中でなぜ「中学生へ」なんていうメッセージを残したくなったかというと、ある高3が下級生に対し、「ホント、勉強しときなよ!絶対に後悔するから!!」と叫んでいたからである。
講師の単なる煽りとは、言葉の重みがまるで違う。

個別塾であるのに座席からパーテーション(しきり)を取り払ってからというもの、だれもが見知りとなり、会話が自然に増え、なんだか塾が部活のようになってしまった。
部長役の高3もおり、授業後にはゴミの後片付けまで高3たちがやってくれている。
次世代の高2も、順調とは言えないまでも受験色に染まりつつある。
中学生は高3がいると張り詰めた空気を察知してたいへんおとなしく、わずかな私語も慎んでいるが、いないと実にのびのびとしている。
このあたりはまるで部活の風景のよう。
そう、まるで「勉強部」なのだ。

で、真面目な話をすると、私も副室Kも、物事を逆算して考える癖がある。
「高3のときにはこういう状態になるのが理想だ。だから今はこれが大切だ」というように。
そんなの当たり前じゃないか! という声があちらこちらから聞こえてきそうなので、もう少しだけ詳しく。


まず、算数数学について。
塾の見解として、大学受験においては、数学は地歴公民(社会)より絶対的に有利な科目であるといえる(大学の私立文系学部入試の多くは数学or社会の選択)。
暗記量が少なく、概して言えばライバルも少ない。
特に私立文系受験なら数学を選択“できれば”ものすごく有利になる。”できれば”だ。
国公立受験なら数学は必須科目だ。
では、数学が“できる”状態とはどのような状態か。
それは、
代数では「等式の性質を駆使し、数式を自在に操れる状態」
幾何では「円・相似・三平方の定理を自在に操れる状態」
解析では「座標の概念を理解し、グラフ⇔式を自在に操れる状態」
だ。
つまり、計算は中1・中2、図形と関数は中3が肝心、ということになる。
数学は小学校から脈々と続く科目なので中学生ではすでに差が開いてしまっていると思われがちな科目であるが、実は中3の春までなら取り返しがつく。
むしろ、抽象的思考力が発達しきっていない中1で詰め込むよりは、中2以降にガンガンやったほうが伸びる場合もある。
小学校の内容に不出来があれば、復習すればよいだけである。
じゃあ小学校の算数はあまり大切じゃないの? と言われれば、実はそうかもしれない。
小学生で算数が苦手である場合、抽象的思考力が未熟である場合が多い気がする。
つまり、脳が幼いのである。
そんな段階に難しい算数を詰め込めば、算数嫌いになりかねない。
以前にもブログに書いたが、小学生は式など立てる必要はないのである。
答えさえ出せればよい。立式は中学生でやる。
で、中1・中2で等式の性質をフル活用した計算が出来るようになれば、中3の計算は余裕。
中3では図形と関数をリキ入れてやる。
文科省カリキュラムでは中3と数ⅠAはほとんど同じことをやっているので、中3で余裕なら数ⅠAは余裕。
数ⅠAが余裕なら、努力すれば数ⅡBも可能(これは余裕とは言わない)。
数ⅡBを克服したら時間次第で数ⅢCも可能。
こんな具合だ。
だから、逆算すれば、計算は中1・中2で等式の性質に。関数・図形は中3でリキを入れるのが正しい。
ただし、やはり難問には思考力が必要であり、小学生のうちから思考回路を身につけておくと有利なことは間違いない。


次いで、国語(現代文)について
国語なんかは小学校に上がる以前から脈々と続いている科目なので、根が深いと思われがちである。
付け焼刃の学習で成績が上がるとは思えない科目だが、私は「国語はテクニックである」を提唱しているので、国語は必ずしも積み上げの科目でないことをお伝えしてきたし、むしろ国語は数学に近いと言ってきた。
ただ、「国語はテクニックである」と言い切るためには大事な前提がある。
これもお伝えしてきたが、それは漢字である。
漢字が書けない、漢字の意味がわからない、ではテクニックの効果も半減してしまうのだ。
そして今回、国語についてもう一つ付け加えさせていただく。
テクニックの効果を倍増させるもの、それは「経験値」だ。
「経験値」は、いろいろなことを知ることで、またいろいろなことを考えることで上がる。
「経験値」が上がると、テクニックを使わずに解ける問題が増えたり、出題された文章の内容を読み取れることが多くなるのだ。
では、どのようにしたら経験値が上がるのか。
それには、たくさんコミュニケーションをとること、たくさん読書をすることだ。
まず、国語は「問いに答える」科目なので、相手と正しく応答できることが求められるのだ。
コミュニケーションの訓練相手は、コミュニケーション能力の高い相手が望ましい。
小さな子どもは身近な人の真似をする傾向があるので(特に必ず親の真似をする)、身近な人のコミュニケーション能力が高ければ、自然と子どもも高くなる。
大きくなってからは、子どもは学校や課外での活動でコミュニケーションの訓練をするようになるから、できるだけ人付き合いをしたほうがよさそうだ。
読書については、勘違いなさっている方も多いが、なにも活字のみの本でなくともよい。
マンガでもネットでも雑誌でもいい。
とにかく子どもが興味を持ったものはすべて与えるのが正解である。
直木賞作家で日本ペンクラブ会長の浅田次郎氏は、若い頃米を買う金で本を買ってしまい、食事にも事欠いたことがあったそうだ。それくらい、本にお金をケチってはならないのだろう。
ただ、読書をしたからといって現代文の偏差値が高くなるわけではないのでご注意を。読書はあくまでも、経験値を積むためのツールの1つに過ぎないのである。
だから、「ウチの子は本が大好きなのに国語が苦手で」という事態もよくあるのだ。
繰り返すが、読書は国語ができるだめの必須要素ではなく、有利になる条件の一部にすぎない。
まとめると、国語は1に漢字、2にテクニック、3に経験値なのだ。
逆算すると、小学生にしろ中学生にしろ、漢字をしっかり練習し、あとは経験を積め、ということになる。
テクニックはいつでも身につけることができるのだから。


英語について
数学は出来ること出来ない子に極端に分かれ、平均点付近の子はむしろ少ないという。
社会は平均点付近の子が最も多く、平均点から離れるほど人数は減っていく。
ところが英語はというと、出来る子が最も多く(満点はさすがに少ないが)、点数が下がるほど人数が減っていくのだ。
(↓参考URL:平成24年度 神奈川県公立高等学校入学者選抜学力検査の結果↓
http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/life/454693_749322_misc.pdf

英語はみんなが重要だと思っていて、みんなが力を注いでいるので、できて当たり前のようになっている。
逆に言えば、できないのは単なる努力不足であり、努力に比例してできるようになるのが英語の特性だろう。
では努力するとして、できるだけ効率のいい努力をしたほうがいいと思う。よね。
最も効率のいい方法は、英語を好きになることだ。
塾で統計を取ったところ、英語の成績が偏差値60を超える子達は、ほぼ全員、高校時に洋楽を好んで聴いている。なんと、ただそれだけだったのだ。
そして英語に対する努力とは、“毎日”勉強し続けることなのだ。
英語の勉強を1日やらないと、3日分の英語を忘れるという。
だから英語は毎日、少しでもいいから勉強しなければならない。
ところが“毎日”となると、案外できないのが人間というものである。
だからこそ、英語を好きにならないと、とても毎日は続けにくいのだ。
もちろん、英語だって高3になってから必死でやれば得意になる可能性はある。
しかし、その暗記量たるや、とてもじゃないが好きでなければ暗記しきれない量なのだ。
(好きなものは自然に覚えられる。好きならそんなに苦労ではない。)
逆算すると、中学で英語を克服できなかった場合、高3時には「英語を捨てる」という選択もしなければならない可能性もじゅうううううぶんにある。
さらに言えば、高2になっても英語に苦手意識がある場合、学校の定期テストでは英語を捨て、さっさと受験英語の学習に切り替えたほうがよい場合も多い。
英語は、「得意にならない限り苦しいだけ」の科目であるとインプットしていただきたい。


とは言うものの、それらが身にしみてわかるのは、多くは高3になってからのようだ。
しかしながら、親御さんや教師が「今勉強しないと後で苦労するよ!」と、先回りして勉強をするよう仕向けても逆効果になる場合も多いのではないだろうか。
子どもは通常、直近の未来しか考えられず、何年も先の苦労など見越すことはできない。
だからこそ、「今、何に最も力を注ぐべきか」を指導者が理解していることは、ものすごく重要なのである。
中1・中2なら計算、中3なら図形、という具合に。
あれも大事、これも大事と全部詰め込んではパンクする子もいるし、勉強も押し付けられるだけの味気ないものになる。
いたずらに目先の点数だけを追うのではなく、大学受験を見据えた指導をすることこそ、子どもはいきいきとするし、子ども自身が「何が大切か」を見極めるようになる。
それこそが弊塾の理想であり、そのために「高校生のための塾です」「中学生が入会されても目標を大学受験とします」と明言している。
中学の勉強はとても大切であるが、単に点数だけ取ることが大切なのではない。
詰め込みで高得点を取っていても高校で行き詰まることも多いという事実も、中学での学習姿勢がいかに大切かという真理を逆説的に示している。
やはり、中学生の間から大学受験を視野に入れながら勉強すべきなのである。


下級生は、上級生が勉強している姿を日々、今、まさに目の当たりにしている。
3になればあれくらい勉強するんだぞと、それが当然なんだの、と思っている。
たとえ兄姉がいても、兄姉は通常は勉強部屋にこもっていたり、外で勉強していたりするから、下の子が兄姉の背中を見ているとは限らない。
ならば、大学受験は自分にはまだ関係のない世界だと思っているかもしれない。
しかし、勉強部はちがう。部活なのだ。
“勉強”という共通した活動があり、“成績の向上”という絶対的なものさしがあり、“受験”という人生を賭けた試合があり、先輩がいて、OBがいて、指導者がいる。
そんな場所だから、高3の背中に数年後の自分を重ねてしまうことは自然なのではないだろうか。

高め合う仲間が集う勉強部  MJ
(俳句にしようとして何のひねりもなし。そして季語もなし)

勉強部の日常風景は、部屋の模様ではなく、子どもの作る空気のスナップだ。
(詩的表現にしようとして意味不明瞭)

そんな塾にしてくれた子どもたちを、誇りに思う。







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