2018年11月18日日曜日

塾の日常➀


おとなしい子

まあ今の子はおしなべてみなおとなしいが、それでも特におとなしい子はいる。
授業中も自習中もほとんど話さず、あいづちすら「いや」とか「まあ」とか、yesなのかnoなのかもはっきりしない。
まあ、そういう子の中にも実は学校ではっちゃけてるこもいたりするが、学校でもおとなしい子もいる。
まあ、そういう子の中にも実は家でははっちゃけてるこもいたりするが、家ですらおとなしい子もいる。
まあおとなしいと言ってもこのようにまちまちだが、それがいいとか悪いとかは、べつにない。
ただ、おとなしければ目立たず荒波に飲まれず生きて行ける一方、周囲から勘違いされやすく損することもあるのも事実だろう。
その最大の損が、おとなしいと周囲から「感情がない」と思われてしまうことだ。

「感情がない」と思われると、まず、いじめの対象になりやすい。
アス〇だのサイ〇パスだの言われることもある。
なぜそんなことになるのかというと、「感情がない」イコール「傷つかない」と周囲に思われてしまいがちなのだ。
けっしてそんなことはないのに。
おとなしい子や、無理しておとなしくしようとしている子は、この点には注意しよう。
ときには感情をきちんと表に出すことも必要だ。

話は少し逸れるが、私も感情をあまり表に出さないので、ア〇ペだのサイ〇パスだのと面と向かって言われる。
アス〇ルガーもサイ〇パスもべつに感情がないわけではなく、きちんと喜・怒・哀・楽のうち3つくらいは持っている。ちなみに私には「哀」がやや欠けている。
アス〇ルガーもサイ〇パスも、ほかにLDなども、あれは明確な閾値(しきいち=ここからがそうだ、というライン)があるわけでなく、おそらくグラデーションである。
つまりだ、病名など付いても付かなくても、人にはいろいろなタイプが考えられるということだ。
そんでアス〇ルガーもサイ〇パスも、他人の感情が読みにくいだけで、当人の感情が欠落しているわけではない。

話は急転直下するが、問題は、おとなしいかどうかではないのである。
以前にも“パリピとオタクと”でも書いたが、必要な時に適切なコミュニケーションがとれるかどうかが大事なのである。
積極的で外向的な子であっても、相手や場にそぐわない発言ばかり繰り返していれば信用を失う。
しかしおとなしい子であっても、必要な時に必要な発言ができれば、周囲から「しっかりしている」と評価される。

だから、自分の性格や考え方がどうであっても構わない。
いつも周囲に元気を振り撒こうと思っていても、できるだけ目立たないようにしようと思っていても構わない。
だた、場や周囲の状況に応じてどう振る舞うのがいいか?は、日々訓練するのがよい。
ときには失敗もあるだろう。でも、訓練しないでできるようにはならない。

私も日々訓練している。




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