2018年9月4日火曜日

勉強の根底にあるもの➀


勉強の根底にあるもの。
それは早期教育でも規則正しい生活でもなく、ただただ、内に秘めたエネルギーにあると思われる。

シリーズ「勉強の根底にあるもの」

第一弾の今回は、エネルギーの塊だったある少年の話を、んHK風に紹介します。


数年前、わりとどこにでもある県立高校から、慶應商学部と国際基督教大学に現役合格した男子がいた。
その子は塾に来るとき、階段を必ず駆け足で登ってきた。
授業の準備も早い。
とにかく1秒でも無駄にしないという姿勢が、日常生活からしてあった。
しゃべるのも早い。
1つの疑問が解決すると、矢継ぎ早に次の疑問を口にする。
人の真意を読み取ろうとするかのように、人の目をのぞき込んで教えを乞う。

かなり激しい運動部に、高3の秋まで在籍していた。
普通なら、それだけで勉強をしない理由になりそうだ。
しかし彼は、英語の勉強だけはしっかりやっていた。
名著「英文解釈教室」を読んでいたのだ。

大学受験において、英語のウエイトは非常に高いのは周知のとおりである。
英語さえ「超」大学受験レベルになっていれば、
慶應湘南藤沢(英語+小論文)
慶應商(英語+地歴+論文試験)
国際基督教(英語+現代文)
など、ちょっとプラスするだけで名だたる大学が受験できる。
彼は、これらの大学の受験にすべてを賭けていた。
だめなら浪人する、と。
実際、慶應に受かって立教は落ちた。

先日、彼とアシスタント講師2人を誘って飯を食いに行った。
将来は独立出来たらと言う彼と、同じく独立したいというアシスタントを引き合わせたかったからだ。
しかしまあ、ウチのアシスタントはまだ大学1年生。
一方の彼は、留学帰りの大学4年生。
・・・格が違いすぎて話にならなかった。
それでもアシスタントたちはものすごい感銘を受けたらしく、
「スゲー、あの人すげー」
と少ないボキャブラリーを披露していたという。

私的には、アシスタントたちは彼のエネルギーに打たれたのだと思っている。
内内にエネルギーを秘めた人間は、話せばそうだとわかるものだ。
そしてその逆の人も、話せばそうだとわかる。
そういうものじゃないでしょうか。

では、彼は人より多くのエネルギーを持って生まれたのか。
いや、生まれたときの生命エネルギーは、みんな似たようなものだろう(個人の感想です)。
それを、多くは環境が潰してしまう(個人の感想です)。
たまたま、多くの偶然のおかげで生まれたときの生命エネルギーを保ったまま成長した彼は、人の倍運動し英語のみ人の倍勉強して、たまたま慶應と国際基督教を目指した。

話はいきなり変わるが、環境のせいでたまたま生まれたときのエネルギーを失っていたとしても、環境や考え方を変えて少し時間をかければ、エネルギーは必ず取り戻せる(個人の感想です)。
内側から溢れ出るエネルギーさえあれば、少々の壁くらい軽く吹っ飛ばせる気がしないかい?

勉強時間がどうとか、やる気が・・・とか悩む前に、今自分の中にどれだけエネルギーがあるかどうか、どうしたらエネルギーを充填できるか、ちょっと見方を変えて考えてみたらどうかな?
自分のエネルギーを削ぐような周りの環境を、ひとつひとつ潰してみてはどうだろう。



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