2012年5月26日土曜日

なぜ勉強するのかリターン1


先日、元・生徒に頼まれて(強引に捕まえられたのだが・・・)、エントリーシート(ES)を考えた。
そう、就活である。

元・生徒の名前をM上(仮名)としよう。
高1で入塾し、高3までいた。
そう、たしかに“いた”が、部活動で忙しく、スケジュールは不定期だった。
テスト前になると現れ、疑問点が完全に無くなるまで追及する(講師を捕まえて放さない)ヤツだった。
はっきり言おう。ちょっとウザい。

それは大学4年生の今も変わってなかった。
メールで10通くらい「これでいいか、これでどうだ!」という感じで捕まり、とどめにはファミレスで徹夜させられた。
供述調書ができるまで寝かしてくれない刑事みたいだった。
はっきり言おう。かなりウザい。

ここで少々弁護を。
就活のESを人に手伝ってもらうことに不快感を覚える方もいらっしゃるだろう。
しかも私は一応、国語と小論文の専門家のはしくれだと自称している。
そんな人間を捕まえて書けば、ESは通るに決まっているではないか、と思われるだろう。
その通りである。
だから、私は書いていない。
あくまでも、M上の疑問に答えただけである。
M上には書きたい、伝えたいことがある。
しかし技術が未熟なおかげで、読み手に100%伝わらないのだ。
読み手は私と同年代か私より年上の人で、社会で厳しい仕事をしているはずだ。
そんな読み手に対し、自分という人間を伝えることは、大学生には難しいだろう。

私「これは削除したほうがいいなんじゃないか?」
M上「いや、これはどうしても入れたいんです。」
私「ならばこういう書き方がいいんじゃないか。」
M上「それだと俺らしくなくなっちゃうんです。」
こんな問答がずっと続いた。
はっきり言おう。とっても・・・。


夜明けの明星とともに、とてもM上らしいESが出来上がった。
正直、文章は高3レベルである。
しかしその他の努力の甲斐もあってESは通り、M上は最終面接に進むことができた。
そこにはたった4人、M上以外は早慶上智だったという。
後に役員に言われたそうだ。
ESは君がNO.1だった」と。
M上は法政大学である。

私がM上のESに関わった理由、それがすなわち、「なぜ勉強するのか」を考えることに繋がる。
前の”勉強法の真実ブログで、私は、
「勉強はしなくてもよい。勉強したければすればいい。」
「勉強は、スポーツや芸術と同じ位置づけである。毒にも薬にもなりうる。」
「勉強より情緒(EIEQ)のほうが大切である。」
「勉強法の両輪は、忍耐力と思考力である。」
「頭の良さ(思考力)は、後天的に身につく。」
などと述べてきた。
実はそれらを体現していたのがM上だったのである。

M上は小さい頃からずっとサッカーをやっており、その実力は群を抜いていたという。
中学時代の学業成績は振るわなかったが、中3のときに猛勉強し、法政二高に入った。
高校で怪我をするも、当時1部リーグだった法政大サッカー部のセレクションに合格した。
レベル的にはJリーグの一歩手前であろうか。
文武両道といえばそれまでだが、要は目標ができると猛進するヤツなのである。

M上は人当たりがよく、それをESでも前面に出していた。
しかし実のところ、“人当たりがいい”なんていうレベルではなかった。
“自分がいる場が暗いなんてありえない。俺が空気を変える。”
という意気込みがあったようだ。
目上には失礼にならないように、気を遣っているのを悟らせないように気を遣う。
話をしていると、あるとき急に懐に飛び込んでくる。
周囲の観察を欠かさず、思いやりに余念がない。
正に、
「勉強したいときに勉強し」
「スポーツも勉強も同等に位置づけ」
「情緒が高く」
「忍耐力と思考力が鍛えられ」
ている。

性格、と言ってしまえば話は終いである。
しかし、“○○へ行く。○○になる。”
そう思った途端、とことんまで努力することは、努力できることは、果たして性格のみで為せるワザなのだろうか?
今回のESは、M上の能力を超えてしまっていた。
当人にもそれが分かっているからこそ、私のところに来たのだろう。
しかしそれでも、彼は安易な手段(=代筆)を選ばなかった。
こうして、勉強の苦手なM上が、とてつもなく勉強ができる学生たちに迫ったのだ。

中途半端な思い入れであれば、私も適当にアドバイスして終わらせていたかもしれない。
ESなんて、人に書いてもらうものでは決してないからだ。
しかし、そこ一社しか受けないという彼の意気込みと、自分が生まれてきた意義まで考えて思い描いた将来のビジョンを聞かされ、私は負けた。
熱を持つ人間は他に感染させる。
私が年甲斐もなくESなんぞに付き合ったのは、技術的に拙い彼の書いたESが、どう評価されるかを見たかったからに他ならないだろう。
だからこそ、私は彼の申し出を承諾した。
彼のESすなわち彼の生き方が大企業においても評価されたことで、今の社会もまんざら捨てたものではないと思える。

いつもいつも、自分の能力以上に努力してきたヤツは、これからも能力以上の壁を越えようとするのだろう。

なぜ勉強するのか・・・

壁を越えたいからだろう?


エピローグとして。
彼には現在高3の妹さんがおり、今の塾に通っている。
その妹さんの何気ない一言を、このテーマの締めくくりとさせていただく。

「ワタシ、推薦で○○大学に行くの。」

“行きたい”や“行けたらいいな”ではない。
“行くの”だと。
絶対に行くんだと。
ああ、兄妹、似てるわ・・・







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