2023年2月14日火曜日

「今日の一文」その2

さて、シリーズ「今日の一文」第2回です。

過去問や問題集を解いていて、お!? と思ったものをご紹介します。

大学入試の英語・現代文・小論文では、著者や大学の先生の考え方を知ることがとても有効です。

入試問題は、大学が受験生に向けたメッセージでもあるのです。

 

今日の一文は、早稲田大学商学部2006年国語(現代文)より。

「統合というものがその原理からして排除を、総合されざる存在を生み出している」

「どんな統合、どんな一体感も、それがどれほど開かれていようとも、つねになにものかを排除することなしには成立しない」

筆者は、フランスがサッカーワールドカップで優勝した際の空気を、「この国で統合を味わうことができてありがとう」という新聞記事を引用して表現している。

しかし一方で、「どこにも行き場がなく」「ひっそりと暮らしている」人々がいることに言及する。

フランスは統合のために、サンクチュアリである教会にまで踏み込んで、行き場のない人たちを「排除」したのだった。


このことは別に、フランスに限ったことではない。

日本だって、見えないだけで、ある一定の枠の中に入りきらない人のことは考慮されない。

国家のような大げさな話でなくても。

例えば横断歩道が青になっている時間。

あれは普通の人が渡り切れるように時間が設定されていて、ということは足の悪い人などは「排除」されていると言える。
大学受験では、国家は悪なんです。

 

あと、私の黒歴史ですが、思い出すだけで嫌なのは中学校や高校で行事のときなんかに言われる「団結!!」ですね。

あれは何だったのかと。

団結したい奴はいい。団結すればいい。けど団結したくない奴(私)まで無理やり団結させようとするのはなんでだ、と。

リーダーには申し訳ないけれど、団結させようとすればするほど、私は嫌になるわけですよ。完璧に団結したいのなら、リーダーは団結したくない奴を排除するしかないんですよ。

つまり、団結はその性質からして必然的に、その内部と外部を作るわけですよ。

 

大学受験の出題者や本を書くような人は、こういうパラドクスが大好きなんです。

そして、世の中全体を見渡して、大多数の人が考慮しない、システムから排除された人々をあぶりだしていきます。

例えば、虐待された子どもたちの「教育の機会均等」

その子たちが、愛情を受けて育てられた子どもと同じスタートラインに立てるとでも?

といった具合に、大学受験では社会の闇にもスポットが当てられます。

中学の国語がお花畑なのとは対照的ですね。真逆です。

大学受験の現代文・小論文をできるようになりたければ、中学の国語の考え方は捨て去るのです。きれいごとはダメ。言わない。

大学受験の現代文・小論文では、多数意見は否定されます。

大学受験の現代文・小論文では、心にドロドロの闇を持つ人間が強いのです。

 

というわけで、少し重くなってしまいましたが、第2回でした。

そして今日も「一文」ではなく「二文」でした・・・

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