2017年6月15日木曜日

数学について その1


旧のほうの「勉強法の真実ブログ」では数学についての記事を扱っていたのですが、このブログではいまだ書いていませんでした。
ずっと書きたいと思っており、「きっとこうだろう」という分析も方法論もあり、実戦もしているのですが、なぜか書けなかったのは、その量が膨大になりそうだったからです。
言い換えれば、面倒く・・・(ry
しかし前の記事でパリピもオタクも数学が得意だったことを考えると、ここはもう書く流れだろうと、きっと皆さんのためになるだろうと思い、遅くて重くて下手な筆を執ることにいたしました。
数学の記事なのに個人の感想がかなり入っていますが、ネットを見ても皆さん悩んでいらっしゃるし、そもそもデータがネット上にあまりないようなので主観も入りますが、できるだけ引用や具体例などをご紹介しながら書かせていただきます。

それでは、まず第一のテーマからまいります。
それは、「数学に才能は必要か?」です。
これには早速お答えします。
答えは、

「大学受験までに限れば、ある程度の才能は必要だが、天才である必要はまったくない」

です。
さらに、

「ある程度の才能が必要なのは他の科目も同じ」

であると言えます。
例えば、英語だって英単語を覚える能力(才能)がなければ、大学受験で英語を受験科目にするのは無理というものです。
同じく、詳しくは後述しますが、中学数学の計算ができるという能力(才能)がなければ、大学受験で数学を使うことはできません。

ここまでで、「才能」は「能力」に置き換えられる、ということがお分かりいただけたかと思います。
つまり、才能=能力とは、先天的な潜在能力も必要ですが、後天的に身につける実力も必要だということです。
先天的な能力には、先天的な知能指数だけでなく、集中力をもって努力そのものができるかどうかも含まれます。
後天的な能力には、学年ごとにそれなりの努力をして身につけるすべての力が含まれます。
このように、真実として、「ある程度の才能=能力」はどうしても必要となります。


(補足です)
*先天的な知能指数については、教育に詳しい評論家の和田秀樹さんが、著書の中で「知能指数85の子が東大に合格した」とおっしゃっていたので(平均は100)、高くなくても大丈夫なようです。私も知能指数はがっつり平均ですし、経験上、分数や暗記ができれば問題ないと思っています。
むしろ、「努力できる意欲や気力」が大切かなあ・・・と。


繰り返しになりますが、先天的・後天的の両方の能力が必要とされるのは、数学に限りません。
他の科目にも、スポーツにも、芸術にも仕事にも言えることです。
他のことにも向き不向きがあるように、当然、数学にも向き不向きがありますし、興味や意欲や、数年にわたって持続的な努力ができるかどうか、教える人の真似ができるかどうか、などが成果を決めるのではないでしょうか。

というわけで、次回からは、数学に必要な能力について、もう少し詳しくお話ししたいと思います。


つづく



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