そんなYが、なぜ、青山に受かったのでしょう?
ひとつには、得意科目を早々に作ったことだと思います。
紆余曲折ありましたが、苦しんだ甲斐あって、世界史の偏差値が異常に伸びました。ただし、字が書けないのでマーク限定ですが。
現役時、最後のマーク模試で9割を超えたのです。
英語も、5割弱くらいまで取れるようになっていました。
それを見たYは、当然、希望を持ったと思います。
「現役でいきたい」
私も、東海大学ならいけると思いました。実質2科だし。世界史に記述はあるけど、ちょっとだけだし・・・
まあ、結局ダメで、Yも私もなんでだろ? って言っていたのですが、まあ浪人時の結果を見れば、まあわからないでもないでした。
とんでもないミスをするんですよ。解答欄をずらしてマークしたりとか。
東海でもなんかやらかした、プラス記述が全滅、といったところだっだのだと思います。
ただ、こんなことを軽く書けるのも浪人して青山に受かったからで、当時の私は
「なんという・・・」(失礼を通り越して失礼)
と悩んだものでした。
まあ、とにもかくにもYは一浪してなんとか青山に合格したのですが、ネット上でよく言われている、
“どんなヤツでもMARCHまでなら暗記で入れる”
“凡人が努力で入れるのはMARCHまで”
“2年間クソ努力すれば、MARCHには入れる。すごい努力が必要だけど”
を証明してしまったわけです。
これらの評には、悪意も善意も実体験も空想も分析も入り混じっているでしょう。
そして、超進学校の出身者からすれば、MARCHは合格して当然の大学でしょう。
ですが、もちろん、努力をし尽してもMARCHに届かない子もいるわけです。
では、MARCHに届いた子と届かなかった子、どこに違いがあるのでしょうか?
運? 地頭? 勉強時間? 気合?
ええ、どれも必要な要素だと思います。
けれど浪人時代のYを見ていて印象的だったのは、勉強中に時折見せる、キラキラとした瞳でした。
昨年度は文系受験生ばかりだったので、現代文を強化すべく“現代文ゼミ”なるものをやっていました。
普段はテクニックばかり使って現代文を解くように指導しているのですが、内容も分かりたい人のために、時間外・無料でゼミ授業をしていたんです。
入試に頻出の話題と、美しい文体と、作家や評論家や大学教授の脳みその中を味わうためでした。今はやってませんが。虚しくて。
とにかくそのゼミで、最も珍回答をし、最も目を輝かせていたのが、Yだったのです。
真っ先に手を挙げて、まったく見当違いであるというあるあるです。
でも、
「面白い!」
「養老孟司ってすごい!」
そうやって素直に喜んでくれるのって、やってるほうは嬉しいじゃないですか。
「なんとかこいつ、MARCHに合格させてやりたいなあ」
たいへんおこがましいけれど、そんなふうに思ったものです。
また、隣で数学を勉強しているヤツがいると、興味津々でのぞき込んでいるんです。
そしてわかるわけないのにそいつに質問して、頭を抱えているんです。
でも言うんです。
「相加相乗平均って、かっけー!」
かわいいじゃないですか。
そんだから中学の数学の問題をやらしてみると、喜んで解き始めるのです。
数学なんか受験科目じゃないのに、ですよ。
面白いじゃないですか。
一度、
“周の長さが36、面積が54の直角三角形ABCがある。この三角形の斜辺ABと内接円との接点をPとするとき、AP:BPの比を求めなさい。”
のような問題を出したら、友達に相談しながらも、なんと正解したんです。
嬉しかっただろうなあ。
この問題は高1の数学によくある問題ですが、普通の高1なんか、偏差値60くらいの高校に通っている子でさえ、初見では「解き方を教えて」って言います。普通は。
それを、あのYは解き方も教わらずに、図を描いて、こうかな?こうかな?って考えたんです。
ほほえましいじゃないですか。
それこそ、勉強に対する、本来あるべき姿じゃないですか。
しかし、こういったYの性格にも短所がありまして、人のやっていることに引っ張られやすいんです。
隣が長文をやれば「長文をやりたい」
隣が古文をやれば「古文をやりたい」
隣が過去問をやれば「過去問をやりたい」
仕方のないことです。焦る気持ちも、痛いほどわかります。
そのたびに、私たちは、
「焦るな。競るな。〇〇〇〇、〇〇〇。」
そう言い聞かせました(失礼を通り越してハラスメント)。
中学時代の学力に差がある。
目標に違いがある。
それは如何ともし難い、と言いました。私としてはつらかったけれど。
(つづく)
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