2012年7月5日木曜日

守・破・離

茶道や武道には、「守・破・離」という言葉がある。
「守」とは師の教えを忠実に守って型を覚えること。
「破」は師の型を完全に習得した後、視野を広げて試行錯誤すること。
「離」は試行錯誤の結果、新たな型を生み出すこと。
と理解している。
一つの「道」の、修行の段階を表す言葉である。
…もし間違っていたら教えてください。

さて今回、言いたいことはすでにバレバレであろう。
「守」においては、

MJや副室Kは知識と型(思考方法)における師であるから、最初は真似しろ。

・真似のできないうちに持論を披露するな。

・文句はやってから言え。

と言いたいだけである。
が、それができれば誰も苦労はしないのである。
いわんや「破」をや、である。
(ここまで問題提起)

(ここから具体例)
さて、私ことMJ20代の頃、ゴルフを教えてもらったことがあった。
私にゴルフを教えてくれた人は、すなわち私の師である。
ところが、師の真似をしようとしても、どうしてもできない。
要はヘタクソなのである。
私は、こう見えても運動神経が悪いと思ったことはない。
高校の部活では県大会ベスト8まで進んだし、バッティングセンターでは140kmの速球を打ち返すことができた。カーブだって打てる。
車の運転も得意だし、水泳も好きだし、高校時代はクラスを代表して駅伝大会にも出た。
大学時、ゲーセンでパンチ力を測定したら、サークルで一番だった。
そういえば、バック転もできた。
パチスロではビタ押しという高等技術ができて、かなり儲けた。
それはともかく、だからこそ、ただの止まっているボールをまっすぐ打てないことはショックだった。
いくらがんばっても、師からOKは出なかったのである。

(ここから転)
「守」は真似ることである。
よく分析すれば、私が得意なのは、単に動体視力や筋肉や肺を使うことであった。
師は常に、私に対して「力を抜け」とアドバイスしてくださった。
ところが運動に際して力を抜くという経験などなく、もっと言えば運動で手加減してはいけない、筋力を常にフルパワーにして行うのが運動だ、という観念が私にはあった。
その固定観念がゴルフ上達の、「守」の邪魔をしていたのだと、実は最近になって、やっと気づいた。
私は真似をしていなかったのだ。

(ここから結)
真似るだけと言うけれども、完全に真似るためには、固定観念を捨てなければならない。
固定観念は、真似だけでなく、コミュニケーションにおいても障害となる。
師の真似をしたり、人の真意を発見したりするには、邪魔なものは取り払わねばうまくいかないのだろう。
体力を過信した私がゴルフがヘタクソであったように、自分のやり方や主義にたとえ無意識でも固執すれば、師の真似はできないのだろう。
そして固定観念を取り払うには、謙虚になるしかないのだろう。
ところがやっかいなことに、謙虚になるということは、これまでの自分のやり方や考え方を否定するということでもあるのだ。
人は誰でも、自分を否定されれば不愉快になるし、自分を否定する人間は敵であるとも見なす。
本当に初心者ならば謙虚にもなれようが、多少の自信のあるヤツが謙虚になることは、実は相当難しいのである。
その点こそが「守」の関門であり、勉学の上達の障害であろう。

副室Kも勉強法の真実ブログの中の「副室Kの言いたい放題」で酷いくらいさんざん書いている。
「中学の数学ができたくらいで高校数学ができると思うな」とか、「ぶっこわす」とか。
それは真実だったのだ。


受験においては、MJと副室Kの真似ができれば、それだけで偏差値65になってしまう。
そのため、「破」や「離」が必要な場面はほとんどない。
逆に言えば、師ができることは「守」までであって、「破」を教えることはできないのである。
ゆえに、私たちは「偏差値65までは引き上げられるが、その先は本人しだい」と言い続けている。
まず、「守」を。
つらいが一度ぶっ壊れて、真似をしてくれ。

もしかしたら、ブログのタイトルも「勉強の真実」にするべきかもしれない。


エピローグ
受験においては「守」がとても大切で、社会に出てからもそれは変わらない。
しかし、社会に出ると「破」も「離」もどうしても必要になるのだ。
なぜなら、時代は変化するからだ。
そのことは社会で活躍されている親御さんが一番よくご存知であろう。
今よいとされていることが、10年後、20年後、30年後にもよいとされるかはまったくわからない。
今は安全安心とされていることが、実は危険なのかもしれない。
基本的な型は同じであっても、異なる価値観の社会が訪れるかもしれない。
社会は必ず変遷してゆく。その社会を生き抜く力は、「守」だけでは得られない。
自分で観察し、自分で考え、自分で決断する力がどうしても必要なのだ。

そういうわけだが、受験生諸君はまずは「守」ができるよう、謙虚になりなさい。
そして「守」ができて偏差値65を超えたら、型を破って偏差値70を目指して欲しい。
一科目でいい。超えるよう努力してもらいたい。
偏差値65を超えることができなかった受験生諸君は、大学や専門学校に入ってから、「破」と「離」をぜひ意識して欲しい。
激動の社会を生き抜く力を身につけること。
それこそがMJと副室Kの願いである。


では。今回の記事は小論文の参考にするように。






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