2018年4月14日土曜日

2018年の卒業生へ


2018年の卒業生へ

 大学もとっくに始まった4月にこんなことを言うのは間が抜けているかと思うが、言いたくなってしまったのだからしかたがない。まずはみんな、大学入学おめでとう。結果に満足しているやつも、少し不満のやつもいると思う。けれど、無責任な言い方だが、大学が始まってしまえば過去なんて振り返る暇もないと思う。新しい環境に慣れるために、また、新しい仲間とともに過ごすために、ひたすら頑張っているはずだ。

 15席しかない座席を5人がいつも占めていた。中高生のテスト前なんか座席が足りなくて大変だったけど、だれも「高3が邪魔だ」とは言わなかったよ。後輩たちは「いつか自分もああなるんだ・・・」という目でお前らを見ていた。まあ、「アタシは無理。指定校推薦にする!」って言う子も増えたがな。後輩にリアル大学受験生を見せることができて、良くも悪くもいい刺激になったよ。

 先ほど、私の言い方は無責任だ、と言った。無責任も訳はある。
 昔の私は感情移入も甚だしく、高3の人生の一部を背負うつもりで、いっしょに受験するつもりで教えている頃があった。満足も不満足も自分のことのように、いや自分のこと以上に感じていた。その結果はどうだったか。変わらない。むしろ、突き放した方がいい結果が出ることが多いのだ。なぜなのかは、もう私の中では明白になっている。

大学受験は、人に手を引いてもらって成功する性質ではないのだ。満足する(あくまでも自分の基準で)結果を得る子は、自分から勉強法の提案をし、それがいいかどうかの判断を仰ごうとする。伸びる子は、つまずいたり伸び悩んだりしたときに、どうすればいいかを真剣に聞いてくる。そして、塾からの提案を鵜呑みにするのではなく、自分の基準で是非を判断し、やれると思えばとりあえずやってみる。つまり、最初から教えてもらおうという姿勢ではなく、やるのは自分、試行錯誤も辞さず、というスタイルなのだ。だから塾が最も教えなければならないのはそういう思考であり、心構えであるはずなのだ。具体的には情報収集であり(もしくは情報を与えること)、判断の基準であり、嘘偽りない努力をしているかどうか胸に手を当てさせることを教えなければならないはずだ。

 しかし講師も人間。どうしても感情は入る。頑張っている子はなんとかしてあげたいし、第一志望に届きそうにない子にはうるさく言いたくなる。特に若いアシスタントは情緒豊かだから、「あいつ、ヤバいでしょ。なんとかならないんですか」などと本気で心配している。OBですら、いまだに心配してくれている。ブログにも登場しているFも連絡をくれたし、例のミスター理科大DHC賞を受賞した子も、わざわざ塾を訪ねてくれた。私だって本心は心配で心配で仕方がないから、つい熱が入ってしまう。ただ、やっぱり大学受験は、孤独なのだね。試験会場では自分ひとりしか頼れる者はいない。誰かに代わりに勉強してもらうわけにもいかない。励まされたって、心配されたって、結局自分が覚えて自分で解けるようにならなくてはならないんだからね。

 何度も言っている気もするし、言ったことなどない気もするけれど、大学受験に限らず、もし嘘偽りなく努力をしたのであれば、結果はどうあれ、絶対に無駄にはならないよ。積み上げたものは、簡単には崩れないよ。お前らに言いたいことは、それだけかもしれない。努力が必ず報われるとは限らない。これからの人生、ずっとそうだ。努力して努力して努力し尽くしたとしても、結果として失敗することはあるだろう。もし成功したとしたら、そのほうがたまたま、なんだ。
「人事を尽くして天命を待つ」
努力は人事。成功か失敗かは天命だからな。むしろ、満足しちゃった方が怖いよ。努力すればなんでもできるなんて万能感が生まれちゃったりして、社会に出てから失敗しちゃうかも。
「人間万事塞翁が馬」だ。気をつけろ。
満足な結果に奢らず不満足な結果に腐らず、今まで努力したことに対して誇りを持て。努力は必ず糧になるもんだ。と思う。若ければ特に、な。

 やっぱり言い訳にしか感じないね、この文章。うん。俺は下手だなあ。

 最後に。親に感謝しろ。ちゃんとお礼を言え。なんて、お前らはみんな言ったと思うけどね。だって、大学に合格するだけの環境を整えてくれたんだからな。
 人生はこれから。とくに第一志望に合格したやつ、人生ナメんなよ。


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